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中高生に対して学校の意義についてやさしく解説する

2022-05-13 11:48:40 | 読書ノート
広田照幸『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』 (ちくまプリマー新書), 筑摩書房, 2022.

  教育学。中高生または先生を対象に、学校で教育を受けることの意味を平易に説くという内容である。「平易に」という点は強調しておきたいところだ。プリマ―新書シリーズには平均的な中高生には難しい内容のタイトルがたまに含まれているから。なお、僕は発売されてすぐに書店で見かけて本書を購入したのだが、その翌日に著者と職場で会って献本を頂いた。というわけで今、僕の手元に二冊ある。

  まずは実体験とは異なる抽象的な知識の意義についてである。学校以外の場でも教育はあり、また学びもある。経験による学びは印象が強烈である。一方で、学校知は児童生徒の生活や経験に直接結びつくことが少なく、その獲得は退屈で不確実である。「しかし…」と著者は議論を展開させる。経験からもたらされる意味の解釈は、すでに持っている知識に依存している。事前知識がなければ、経験から得られる知を、その文脈から切り離して、汎用性の高いものに変えてゆくことはできない。その事前知識として学校知が機能する、という。

  もちろん学校にはいろいろ問題がある。過剰な学歴獲得競争、成績の序列化がもたらす格差や不平等、無意味な校則、おしつけがましい道徳の授業──ただし「道徳の内容が個人主義的であり、望ましい社会についての議論がない」という点が批判されている──などである。著者はこれらの弊害についていちいち指摘してゆくものの、制度改革について立ち入って議論するのではなく、中高生読者に向けてとりあえず現状を解説しておこうというスタンスで筆を進める(トピックによっては現状にもメリットがあるともいう。例えば「学歴獲得競争の結果、人的資本が高まることがある」など)。

  以上。学校制度に厳しすぎることも優しすぎることもなく、まっとうでバランスのとれた教育論でとなっている。「学校に関係する不満の解消」とまでは言わないけれども、「適度な不満の持ち方を身につけることができる」とでも言おうか。教育関係の議論は極端になりがちで、ネット言論の世界では「日本の教育なんかオワコンだから、自分の子どもに英才教育(STEMと英語限定)を施して海外の大学に送り込め」みたいなのがトレンドになってたりする。それと比べれば本書はとても穏健に思える。
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