佐藤卓己『現代メディア史』岩波書店, 1998.
メディア史の定番の教科書で、2008年の段階で9刷まで発行されている。平易ではあるが、そのスタンスはちょっとややこしい。
著者はマクルーハンのような技術決定論的な立場をとらない。そのため、メディアを受け入れる社会についてしつこく言及される。実際、新しいメディアの受容にはその国の経済や政治が影響しているからだ。本書では、英米独日の四カ国が検討されている。
一方で、コミュニケーション研究・メディア論に対する視線もある。こちらの方は、あるメディアを持った時代の“言説”は、そのとき使用できた最新のメディアによって影響されるという見方がなされている。たとえば、印刷物のみの時代と近代精神は結びつけられ、ラジオの時代は大衆動員の時代とみなされる。本書は、こうした言説を記述の枠組みとして使用している。
そういう次第で、章構成をみると技術決定論的に見えるのだが、中身は全然そうではないというものとなっている。初学者でも分かり難いというものではないが、技術決定論的なメディア論がどのようなものなのかをあらかじめ理解した上で読むと、著者の意図がより鮮明になるだろう。
メディア史の定番の教科書で、2008年の段階で9刷まで発行されている。平易ではあるが、そのスタンスはちょっとややこしい。
著者はマクルーハンのような技術決定論的な立場をとらない。そのため、メディアを受け入れる社会についてしつこく言及される。実際、新しいメディアの受容にはその国の経済や政治が影響しているからだ。本書では、英米独日の四カ国が検討されている。
一方で、コミュニケーション研究・メディア論に対する視線もある。こちらの方は、あるメディアを持った時代の“言説”は、そのとき使用できた最新のメディアによって影響されるという見方がなされている。たとえば、印刷物のみの時代と近代精神は結びつけられ、ラジオの時代は大衆動員の時代とみなされる。本書は、こうした言説を記述の枠組みとして使用している。
そういう次第で、章構成をみると技術決定論的に見えるのだが、中身は全然そうではないというものとなっている。初学者でも分かり難いというものではないが、技術決定論的なメディア論がどのようなものなのかをあらかじめ理解した上で読むと、著者の意図がより鮮明になるだろう。