イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

信頼できる人は?(プロセススケールを考える 10/12)

2013-06-20 | 第三章「無意識の世界」

 先日の奈良旅行。積ん読であった一冊、黒岩重吾氏の「役小角仙道剣」の文庫を持って旅をした。初めは、さほど真剣に読んでいなかったが、U先生がその本に興味を示していただき、それがきっかけで、読書に弾みがつきどんどん興味が湧いてきた。この本は、「石上朝臣麻呂 闇の左大臣」と共に黒岩重吾氏の最晩年の作である。遺作とも言えるが、最後まで主人公としては書かなかった持統天皇を俯瞰するような作品で、考えさせられる。

 黒岩重吾氏は、ちょうど亡父と同じ年代で、従軍し満州で終戦を迎え大変なおもいをして日本に戻る。その後、欲望の渦巻く大阪で生き抜き、作家となる。生育史上で飛鳥とか古墳に縁があったこともあり、当時は殆ど書かれることのなかった7-8世紀の古代史を題材にライフワークとして書き綴られる。そして今から十年前くらいに79歳で亡くなるのだ。

 厳しい戦争や欲望渦巻く世界を生き抜き作家になられた方だけに、古代史を見る現実吟味力はより確かなように感じる。つまり空疎な知ではなく、体感・経験を元に表現しているのだ。私の年代の作家とは一味違う魅力に溢れている。

 さて、7-8世紀の壬申の乱などの大混乱を経て、日本の原型ができてくるのだが、その中で持統天皇が何故、藤原不比等に接近したかは最大の謎の一つである。黒岩重吾氏は、藤原不比等が天智天皇の落胤であることを(つまり持統天皇の同母ではないが兄弟)持統天皇が信じていたのではと推察している。実際は諸説があって定かではないが、持統天皇が兄弟と信じて見えてくる世界を仮定してみると、持統天皇の行動が自然に見えてくる。迫力ある見識だ。

 ここで話は一転するが、プロセススケール(こころの健康を測る尺度)の一つに自己の伝達がある。自分の奥深いところの本心を正直に他者に伝達できれば、本人も他者も幸せの方向に向かうが、そうでないと本人も周りも不幸に陥るという説だ。小説家も考えてみれば、この基本は変わらない。本人の深い経験に基づかない情報を、軽々しく表現するのはダメなのだろう。自戒をもって、この自己の伝達の意味を考えてみたい。

 プロセススケールを考える 10/12

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自分の問題としてみると世界が変わる!(プロセススケールを考える 9/12)

2013-06-19 | 第三章「無意識の世界」

 昨日は四ツ谷でU先生の勉強会があった。奈良の旅以来はじめて懐かしいメンバーにお会いしたり楽しい時を過ごさせていただいた。昨日のお題は「防衛機制」。こころの自由を考える貴重な時であった。

 日々の暮らしの中で、防衛機制(抑圧、抑制、昇華、合理化、感情転移、置き換え、知性化、退行、逃避、同一化、摂取、投影、反動形成、補償)は自分が傷つくことから防いでくれる大切な心の仕組みであるが、時に重要な自分の暗い感情と向き合い、その意味を深く考えることを忘れさせる仕組みでもあるようだ。

 日々の中で、これはAさんの問題だなとか、世の中が悪いとか、まあ関係ないやとか・・・そんな風に問題をやり過ごすことは多い。それは、だいたい防衛機制の働きだと思う。それは、貴重な時間を無駄にしなかったり、特定の問題に集中したり、自分が深く傷つくことを避けるのに重要だったりするが、時には本来自分の問題として、ひと押し考えると世界が開けてくる問題だったりする。

 さて、写真はアヤメの蕾にとまったトンボである。先日デジタルカメラの望遠機能で撮った。ところが、最近動画にも興味を持つようになり、奈良旅行では意識して動画も撮った。そんなことで、この写真を見ると、静止画も良いが動画でとったらな、などと思うようになってきた。

 しかし、動画の編集をしたりするのは、つい最近始めたばかりで修行が足りないので悶々とすることがある。そんな悪戦苦闘する中、湧き起る暗い感情をどう捉つかうかは大事。何だ、このソフトは!・・・そんな風に感情転移が起こったりしてしまう。60歳を過ぎての手習いではあるが、湧き起る感情が何故湧くのか、それは自分に何を語ろうとしているのか・・・そんな風に考えると、違った展開になるように思う。

 ロジャーズの命題18は学術的な難しい表現だが、とて良いことを言っている。

 18:個人が、自分の感官的・内臓的経験の一切を知覚し、それを首尾一貫した統合されている一つの体系へと受容するならば、そのときには、その個人は、必然的に他のひとびとをより理解しており、かつ、他のひとびとをそれぞれ独立した個人としていっそう受容しているのである。

 プロセススケールを考える 9/12

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体験が身についてくる不思議!(プロセススケールを考える 8/12)

2013-06-18 | 第三章「無意識の世界」

 昨晩は、知人から教えていただいた蛍の名所?に立ち寄ってみた。暗闇の中で蛍が高く一匹飛んでいるのを観て感動したが、小川周辺で飛んでいる蛍はそれきり。でも、一匹でも素晴らしい蛍を観られたのは幸せだったと思う。

 こうした体験。振り返ってみると、生き甲斐の心理学でいう体験過程の問題と重なっていることに気付く。

 体験は、決して客観的なものではない。現象学的なロジャースの性格形成論の第一番目に次のような命題があるが。体験・経験を考える上での至宝だと思っている。

 命題1:個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界に存在する。

 蛍一匹を観て感動するという体験のきっかけは、はじめは自分の中の異物のような体験から始まった。特徴は、特に感情を伴うわけでなく、ふん・・そんなものか・・的なものである。

 初めて蛍を見たのはどこだろうか、あまり記憶にないが、幼い頃に武蔵野の親戚の家に遊びに行ったときのようだ。その後、蛍を意識しだしたのは、時が随分経ち50歳代後半になってきてからだ。しかし、多摩動物公園の昆虫館の中で観ても、それで終わっていた。

 それが、自然の蛍を見たいと情動が活発化してきたのは、遠野に興味をもったり、役小角の日本古来の山岳宗教に興味を持ってきた最近である。何となくバクとしていたものが、立ち上がってきたようだ。ただ、これが自分にとって何を意味しているのか、まだ良く判らない。

 健全な体験は一般的に不思議な過程を辿る。ちょっと、自分の例を思いだしてみる。父も祖父も理科系だったので10歳代に国語を疎かにしたため、中学2年の時には国語の成績はクラスでも下の方になっていた。そんな私が、受験というきっかけで国語を勉強するようになり、さらに好きになっていく過程。これは自分にとっての貴重な健全な体験過程の原型だと思う。成績はまあ浮世のものであるが、浮世とは関係なく嫌いな人が好きになるとか、自分の生き甲斐を探索するなど、人生にとって大事なことで、私の原型は役立っているようだ。

 ただ、こうした体験の物語は、自分だけで成るものではなく出会いがあって初めて成るところがあり、実に神秘的だ。

 思えば、生き甲斐の心理学を学んでいく過程そのものも、学生時代の心理学との出会い、創造工学との出会い、U先生との出会いなどである。

 写真は、蛍ではないが、薬師池公園で移した写真である。撮ったときは気づかなかったが、蜘蛛の糸が何とも不思議な美を奏でていたのだ。感動的ですらある。

 プロセススケールを考える 8/12

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梅雨を喜ぶ、あじさいの花!(プロセススケールを考える 7/12)

2013-06-17 | 第三章「無意識の世界」

 梅雨が好きという人はあまりいない。しかし、先日行った高幡不動の紫陽花は、やはり梅雨が似合うようだ。写真を撮るからと言って快晴のときに行って、ちょっと干からびた花をとるのも野暮である。

 さて、こころの健康を測る尺度・プロセススケールの一つに不一致というものがある。こころの奥の感情が好きな時に、好きというのは健全だが、感情が判らないで嫌いというのは不一致である。好きを嫌い。嫌いを好きということ。自分の心の状態が不安定な時のことを考えると結構あるものだ。何となくピエロ感覚の不安定な時。自分は、ちょっと変かなと考えるのは改善への一歩だとも思う。

 梅雨。私は梅雨が好きなほうだ。これは、小学校のころ傘をさして、飛行機の操縦をしている妄想?を楽しんだりしたことが原因かなと思ったりする。7歳の時に東南アラスカに住んだことがあるが、そこが雨がやたらと多い気候だったこともあったかもしれない。そんな、じめじめした天候の中、公園で一人トーテムポールを眺めた記憶も影響を与えているかもしれない。

 まあ、梅雨という現象も、人それぞれに受け取るものなのだろう。

 先日の奈良旅行も、様々な場所に行ったが、自分の湧き起る感情も様々だったが、お仲間も人それぞれのようであった。それも楽しいものだと思う。

 プロセススケールを考える 7/12

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ルーツを実感する旅!(プロセススケールを考える 6/12)

2013-06-16 | 第三章「無意識の世界」

 自分の祖先は何だろう?そう考える人は多い。ただ、気になるが3-4代先くらいまでしか良く判らないという方が多いのではないだろうか。実に私もそうであった。

 ところで、この10年、20年・・・家族の核家族化が進んでいるようだ。以前であれば、沢山いる親戚のおじさんやおばさんから聴いたりできたが、高齢化とともにチャンスが減ってきた。そんな中、私もルーツ探索を2-3年前から真面目にするようになった(ときどき思いついたときにだが)。

 そして、戸籍情報ら5代まで遡ることができた。郷里の市役所に行って見つけたのだ。お寺とかに、行けばさらに遡ることができるかもしれない。ただ、出身が村上水軍の拠点なので、名前と昔ルーツ探しをしていたおじさんの話を総合すると、志摩半島と縁のある家系で、藤原北家と縁のあるのではないかと今は推察している。

 今回の奈良旅行。6月7日に談山神社に寄った。藤原鎌足の縁のある神社である。前回訪れた時は、紅葉の頃であったが、今回は新緑が綺麗で、紅葉の花が沢山咲いていた。

 そして、前回気になったが購入しなかった、藤原氏族一覧を入手した。私の森もその一覧に載っていたが、調べてみると2代前の祖父母4名の名前すべてが一覧に載っていた。私のルーツは藤原氏とは縁が深いのかなと思っている。

 ただ、数理的に考えると1300年以上のことなので、1世代30年と計算しても45世代以上。これは2の45乗なので、今の世界人口70億人を遥かに超える(32世代でおなじくらい)。当然、祖父母が重なることを想定しなければならない。そんなことをあれこれ考えると、藤原氏の血は当然流れていて全く不思議でない。

 さらに、蘇我氏や天皇家など、当時の歴史に登場する人物との関わりもあると考えるのが自然だろう。

 歴史の旅。特に古代史ごろになると、歴史の遺跡などはアカの他人のことではなく、自分に身近?な祖先のことなのだろう。そう思いつつ、実感する旅は味がある。

 プロセススケールを考える 6/12

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