イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

『ありがとう!』を意識すると良いみたい!(自己愛のことを知ろう 8/10)

2012-09-20 | 第五章「和解と平和」

 昨日の夕焼けは綺麗だった。ひさしぶりである。ありがたい・・・感謝の感情が湧く。

 感謝心というのは、不思議だ。社会生活を送るうえで、さらに、心の状態を見る尺度としても大切だ。心の状態をみる感謝心は、倫理道徳とは別で、自然に湧く感謝の感情をさす。でも不思議なもので、感謝心を表す行為をすると湧いたりする。

 最近は、切羽詰ることは少ないが、切羽詰まり、何とか難関を乗り切れたり助けられた時に、心の中でこだまするような感謝心が湧くのは印象的である。

 感謝心の湧かない生活を続けることもある。こういうときは、周りから見れば、とげとげしく、疎まれているかもしれない。眼付が邪眼で犬に吠えられ、蝶や昆虫まで避けられるかもしれない。権利ばかりを主張し、感謝心など無縁。自分の理屈が先行して、他人の意見を聴く気にならないことも。

 こういう時は、こころの健康尺度ともいえる、プロセススケールも概して低い。そして、大事な感情というセンサーがさび付き、固定概念に閉じ込められ、何か失敗しがちである。

 感謝心から遠いとき。五感を大切にし、「ありがとう」と心から言ってみるように意識する。無味乾燥のモノクロームの世界が昨日の夕焼けのように色づくことも。

 

 自己愛のことを知ろう 8/10

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苦手な感情から観える個性!(自己愛のことを知ろう 7/10)

2012-09-19 | 第五章「和解と平和」

 この夏に経験したことで、母との会話に冷静を欠いたことがあった。誰でも苦手が感情があると思うが、私にもある。自己愛の問題でも、「他人からの批判、無関心、あるいは自己の挫折に対して、冷酷な無関心、激しい怒り、劣等感、屈辱感、虚無感などの感情で反応する」。とあるが、ちょっと病理的なこの苦手な感情は何だろう。それが、ずっと秋まで頭の片隅にあった疑問だった。

 丁度、昨日、四谷でU先生の勉強会があり、いろいろ考えを深めることができた。まさに、どんな感情が苦手かという問いのセッションだったからだ。

 この夏の苦手な感情を、薄皮をはぐように考えてみると、屈辱感->劣等感->疑惑・恥辱と生育史をたどり、より原点に向かうところがある。これはエリクソンのライフサイクル論で語られる8つの人格形成論をを遡る感じである。最終的には、2-3歳のころの幼い経験に遡った。

 私の幼いころの家は、サザエさんの家族のように、母方の祖父母が庭を挟んで隣に住み、私と犬と両親が小さな一軒家に住む暮らしだった。父は仕事で殆ど不在。そして、母は妹がお腹にいて、私を寝かしつけると、隣の祖父母の家に行くことが多かったようだ。

 眼をさますと、一人きり。そして、泣く。やがて、母が泣き声に気づき、ひと段落なのだが、この不在のパターンがどうも心の中に焼き付いているようだ。2-4歳はエリクソンによると、ネガティブな感情として恥辱・疑惑。ポジティブなものは自律心。そして意志力を育む時期とされている。

 そして、想うのだが、それが原因か疑惑感で退行する、やや病的な傾向は幼いころから何処にあった。そして、その反対に、ふっと一人で考えたりする行動(自律、意志力)も、まるでバランスをとるように小学生のころから生まれたようだ。

 時代は変わり、9年前に勤めていた会社をやめ、全く違う人生を歩み始めた。自分としては、大きな意志力を必要としたが、その起源はそれこを50年前の母と子のやりとりに萌芽があったかもしれない。ネガティブなものをポジティブに変える力は、なんとも不思議だ。

 自己愛のことを知ろう 7/10

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多様な人の心を知って驚く!(自己愛のことを知ろう 6/10)

2012-09-18 | 第五章「和解と平和」

 この夏は、「一房の葡萄」(有島武雄著)を何回も読んで感動し、時々「生き甲斐の心理学」の勉強会でも話題として取り上げた。その中で気が付いたのだが、一人で読みこんでいると、深まるのは良いが自分の思い込み(固定観念)ができ、狭い世界を形作ってしまいがちちということだ。様々な経験を積んだ他者と一緒に読書の話題をしてると、多様なひとの心(生育史)の不思議さ・美しさに妙に感じてしまう。へー、こんな見方ができるんだと。自分の世界の狭さに愕然とすることも。

 逆の見方をすれば、自分は自他混同したり、理想と現実を混同しがちな存在ということかもしれない。それが真実を曇らせ、「一房の葡萄」の主人公は、こうした感情に支配されていたに違いない・・・とか、こう解釈すべきだと述べてしまいがちになる。相手をろくに知りもしないのにかってに解釈したり、自分のかってな理想から裁いたりする。そういう、不安定さをもっていたのだ。

 さて、自他混同、理想と現実を混同しがちな私ではあるが、この特性のことを別の観点から考えてみよう。

 私は動物園が好きで、よく散歩がてらに行くが人間と動物(霊長類を含め)と何が違うのかと考えることがある。キリスト教文化などでは、霊魂は人間だけと考えることが多いが、どうだろうかと。よく考えると、人間だけが高度な言語文化、コミュニケーション文化を持っているのが違いかなと思う。

 動物は、自分の置かれた時間・空間にかなり縛られる。一方、高度なコミュニケーション能力をもった人間はどうだろう。数千年前の異国の人が書いた記録を知ったり、あるいは、妄想かもしれないが、このブログでさえ、外国から特定の未来からでさえ読むこともできる。考えてみれば不思議だ。ヨハネ福音書の初めの言葉。「初めに言があった。」はこうしたことも言っているかもしれない。

 そして、この不思議な人間の能力と裏腹に、自他混同や理想と現実の混同もおこりがち。

 自己愛のことを知ろう 6/10

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愛そのものの魂と天国の話!(自己愛のことを知ろう 5/10)

2012-09-17 | 第五章「和解と平和」

 3.11後、科学万能で忘れ去られていた死が、意外に近い存在だと国民的に認知されたのか、伝統宗教や哲学が見直されているように感じている。私も、最近「死んだらどうなるか?」と問われることもあり、先日も魂論、霊魂論の本を何冊か読んだ。

 私は、カトリック信徒なので、クレド(使徒信条)や二ケア・コンスタンチノーブル信条を読み返したりもした。先に述べたように私は不信心な人間であったが、たまたま不思議な体験をして信仰をもつようになった。それでも、来世や神、魂のことになると、感覚だけでなく論理的にも思案し信仰を固める努力が必要である。感覚だけでは頼りない。この努力は死ぬまで続ける必要があるのだろう。

 「死んだらどうなるか?」という問いは一見浮世離れしているが、今ここの生き方に直接影響する大問題である。

 死んだら身体が分解し地に戻るのと同様に、精神もなくなる。こうした唯物的な見方は世に溢れているが。もし、この考えを徹底していくと、生きる意味はなんだろうか。快楽とかこの世の物質的な富を追及できる若いころはとにかく。身体が弱り老いてきたら、もう先はなく希望はないのか。個人の血と涙の生育史の価値はどうなるのだろう。

 死んで永遠の眠りについたと思ったら、想像もしなかった別の世界に生まれたり、天国に生まれるということも可能性も否定できない。それも、日常よく経験する因果論的なことで決まるかもしれない。あるいは、一方的な愛で天国に直行したりも否定できない。こうした来世観や魂観の違いで、今ここに生きる意味も随分変わってくる。そして、辿る行動も変わる。

 何を信じるかは、とても大事な選択(大事なわりに理論は簡単には判りにくので、変なはなしだが、実績ある伝統宗教や哲学から入るのが危険はないようだ)。私など、両親等の縁で信仰を深めるということも多いと思うが。

 私の来世観は、天国に生まれかわり幸せになるというものだが、先に旅立った人と再会したり、今の世で謎だったことが判ればと妄想もしている。現世人類の過去累積数は800億人とも言われる。そういう、祖先と密にfacebook以上にやり取りもできるかも(笑)・・・

 もうひとつ、教育とか医療とか福祉など人と関わる仕事では特に大事だ。それは自分だけでなく他人をどう見るかの人間観だ。U先生から教えてもらったが、たとえ最悪の人と出会っても、その人の中に魂が隠れていることを思い出すのだ。魂といっても、穢れた魂とかではなく愛と意志をもつ魂だ。人を身体、こころ(生育史を中心とし生き甲斐の心理学が対応)と魂(宗教や哲学が対応)からなるものと考えるのだ。

 自己愛のことを知ろう 5/10

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心の地図でバランスを!(自己愛のことを知ろう 4/10)

2012-09-16 | 第五章「和解と平和」

  心理療法でフォーカシングというものがある。今までこのブログでも述べてきたが、一つの特徴は事態の最悪と最良のシナリオを考えること。これは一次元(線)の地図のようなものだと思う。それを概観するだけでも、錯乱感は収まるものである。

 二次元(面)の地図も「生き甲斐の心理学」には良く出てくる。

 自己否定・自己肯定 X  他者否定・他者肯定の組み合わせの地図だ。4つの組み合わせ(象限)があるのだが、自分が今どこにいるかを知るだけでも意味がある。大きく考えて、自己否定・他者否定(破滅)、自己否定・他者肯定(卑屈)、自己肯定・他者否定(自惚れ)、自己肯定・他者肯定(平和・共存)。そして、今の位置から自己肯定・他者肯定への道を時々考えることは、私にとってはとても意義深い。

 好き・嫌い X 怖い・怖くない の原初感情、そして組み合わせも心に残る地図である。自分の感情を考える上で、原初感情をとらえることは大事である。それだけでなく、好き・怖くない、好き・怖い、嫌い・怖くない、嫌い・怖いの地図と自分の現在の感情と結びつけたりすると意外な発見がある。さらに、今の自分は人間が好きか嫌いか、人間が怖いか怖くないか、こんな観点で反省したり原型探しをする意義を感じ始めている。 

 地図はまた、冒険・行動のためにあるともいえる。目的地に行くために、危険を避けるために、宝物を得るため・・・。

  自己愛のことを知ろう 3/10

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蛇足ですがお楽しみ問題です。次の写真は ①好きですか嫌いですか? ②怖いですか怖くないですか? ためしていただければ(写真がちょっとかもしれませんが、ご自分の好きな写真でも結構です)。好きで怖くない写真はどれですか?

 A

 B

 C

 D

 E

 F