イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

幸福感に浸る時・・・

2007-09-18 | 第八章「魂と聖霊」

56歳の今まで、幸福感に浸った経験は意外と少ないようだ。幼いころの幸福感は明確な感情として思い出せないが、かなり辛い経験、気分的にはウツの後にこの幸福感の贈り物が突然届くようである。

幼い頃、海で溺れそうになった後で、母に暖かい風呂に入れられたときの感情。小遣いを溜めて買った天体望遠鏡で初めて月を見たとき。危険な目にあって、妻や子供とと一家団欒を過ごしたとき・・・

幸福感の存在を意識しだしたのは、カリタス カウンセリングを勉強しだしてからである。そして、この得がたい幸福感を理解していく中で、自分の価値観が少しずつ変化してきたように思う。

日々、計画するのではなく突然のプレゼントとしての幸福感。

人生はお金や名誉だけではないと思うのは、この幸福感のお陰かもしれない。

明日19日から20日、外出のためブログはお休みします。

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魂がふるえる感動・・・

2007-09-17 | 第八章「魂と聖霊」

隣の家に住んでいた祖父は、祖母が亡くなってからは毎日仏壇に手を合わせ、お盆の時は必ず送り火を玄関で一家揃って焚いた。

80歳を過ぎてからは、いつも送り火のときは「来年はこうして送られたりするのかな」とつぶやいて、家族のものを不安に陥らせたものだ。

祖父は涙もろく、高校野球で勝ったチームの校歌が流れ、泣いている選手の姿を見るだけで良く泣いた。

「おじいちゃん、きっと泣くよ!」と陰でよく言ったものである。

私も50代後半となり、違う宗教ではあるが信じ日々を送っているが、そんな祖父の感動が何となくわかるようになってきたように思う。

ちょっとした、日常の出来事の中で、急に感極まって涙が出たりすることもある。名画を見たり、良い音楽を聴いたり、芳しい花の香りを嗅いだだけで感動してしまうこともある。

カトリック教会のミサでも、時に涙を拭っている人を見るが、私も感極まることもある。

今日は敬老の日、そして気持ち良く晴れ、お年寄りも思わず感嘆の言葉を漏らしていた。

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信じて見える世界!

2007-09-16 | 第八章「魂と聖霊」

この3年間、日本では殆ど馴染みの無い分野、宗教心理学を植村高雄先生に学びながら、ゆったりと勉強している。宗教学とも関係深い分野で、理工系大学を卒業してきた私にとってはすべて新鮮な分野である。

先日からは、W.ジェイムズ著 「宗教的経験の諸相」(岩波文庫)を読み始めている。

1902年の著作であるがなかなかロジカルで、医学的唯物論者の説を切り捨てながら、宗教を信じて見える世界の研究という、一見風変わりな研究を説明している。これから、じっくりと楽しみたい。

自分の過去を考えてみると、宗教の影響がものすごく大きいように思える。既にこのブログの中に記したことも多いので、最初から読まれた方はうすうす感じていらっしゃると思う。

勿論、その影響は個人的なある体験に因っている。そしてその体験が自分にとって決定的な影響を与えていることは事実である。ただ、今考えるとその体験は単なる脳の生理現象といわれるものであったかも知れない。100%正しいとは言えないことも知っている。

恐らくさまざまな所謂宗教的体験というものは、個人に決定的な影響を与えるが、証明できないし疑うことはいくらでもできるものであろう。また、そんな宗教的体験が無くても、信仰はもつことができる。

方法論として体験の真偽を議論しないで、信じて新たに見えてくる感じてくる世界と、信じないで見えていた世界をきちっと研究することがより建設的に思える。

私は信じて見える、豊かで神秘的な世界により大きな魅力を感じている。信じて見える世界は、日本の教育で教えることのない全体的な人間観や世界観を用意する。どの宗教を選択するかは別にして、こうした研究はこれからの不透明な時代に役立つ研究だと思う。

昨日、四谷の土手で咲いていた葛の花、美しいピンクの花も良いが豊かな甘い香りはなんとも素晴らしかった。

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清水谷公園にて憩う・・・

2007-09-15 | 第八章「魂と聖霊」

都心の清水谷公園周辺を散策した。雲間から青空が顔を覗かせ、時に強い日差しが射した。

久々に訪れた清水谷公園は、池の水を満々と湛え、美しい木々の緑を写したり、周りの建物で仕切られた空間からの木漏れ日、そして青空を写していた。

清水谷公園は、私が幼年から青年期までに何度も訪れた公園である。大きな石碑があり、それが大久保利通の紀尾井坂の変で48歳で暗殺された遭難の地であることを、幼いころは何も知らなかった。

近代日本の基礎を作り、今でも子孫のA氏が総裁選に出馬していることもあり、近くの永田町にも今でも影響を与えている。大きな石碑に対し、怖れの感情がわいた。

池の水面のさざ波に揺らめく、青空を見ていると不思議な気持ちになる。

今、この地を訪れ憩っている自分に、寄り添う歴史の不思議というものだろうか。うまく言葉に表されない深い感動がある。

暖かい平安感の中で、池の辺で憩おった。

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魂がぶつかる関係!

2007-09-14 | 第八章「魂と聖霊」

昨日は、原作あさのあつこ作「バッテリー」のビデオを見た。「バッテリー」が書店で並び、テレビでも取り上げていたので興味があった。意外にOLにも愛読者が多いとの話題もあった。

岡山県の天才少年ピッチャー巧とキャッチャー豪の熱い、密な関係を中心に現代の組織の問題を逆に考えさせる映画であった。たまたま医療問題に関してのNHKの番組を見て、こんな国民健康保険の制度に誰がしたのかと憤慨していた時でもあった。

熱い密な、愛そのものの魂のぶつかり合うような関係。同志!このような関係は、今の社会では稀になりつつあるのであろうか?そして、利害に満ちて本当に大事なことを見ようとしないやらない、疎な関係が横行しているのだろうか。

個性を無視し型にはめようとするのではなく。個性の違いを越えて、愛そのものの魂のぶつかりあいの中から何かを産みだして行く。

「バッテリー」がヒットしていること。

なにか、そこに新しい希望を感じた。

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