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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

究極の親密な関係を思索する!(愛の心理学 9/10)

2015-11-01 | 第九章「愛」

 愛を考える時に外せないのは、エリクソンさんによると、孤立感と親密性である。今日は親密性について思索している。わたしとあなたの関係において親密性はいろいろである。自分の生育史のことを考えると、親密になりたい本心はあるものの、いろいろな感情の流れのなかで、意外に親密になれない経験もつんできた。

 対人の問題もいろいろあるが、今日は神仏との関係を特に思索している。まあ、わたしはキリスト教徒なのだが。神と私の関係。どの程度の親密性があるのだろうかと?それは、人と人の関係と実に似ているのに驚かされる。

 自分の生育史を考えてみると、幼年期から少年少女期は、そこそこの親密性。青春期から40歳代前半は、本音では親密になりたいのに疎遠に。そして40歳代後半のある時点から急速に親密に。

 さて、今私は多摩に住んでいるが、都心に住んでいたころと違い、身近なところにお地蔵さん、小さな祠、石仏、道祖神が実に多い。そして、今でもどなたが大切にしているのかわからないが、花が添えられていたりする。立派な神社仏閣教会とは違うが、人々と神仏の親密性が溢れているように感じられる。

 旧約聖書の雅歌は、これが聖書かとおもわれるほど、神との親密な関係を歌っている詩である。今、熟読しているのだが、親密とはここまでかと思える。仏教でも密教では理趣経があるが、これもある意味で似ている気がする。空海は、キリスト教文化も華開いていた唐で理趣経を入手したようだが、その時にキリスト教をどう評価していたのだろう・・・妄想は広がる。

 そして、私たちの祖先、縄文時代の祖先のことを想う。大湯ストーンサークルは地域での祈りの場であったようだ。その規模は凄い!しかし、これは全国にひろまっていて、私の住んでいる多摩にも田端ストーンサークルがある。そして、その伝統が、道端の道祖神になっていたり祠や石仏になっていたり、あるいは私の祭壇になっていたりするのだろう。

愛の心理学 9/10

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