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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

不信感でいっぱいなとき・・・(こころの柔軟体操 7/10)

2015-12-01 | 第七章「光と復活体」

 自分の人生の中で、不信感でいっぱいな時といえば、高校生・浪人のころだったように思う。ちょうど、学園紛争の季節で、その嵐が吹き荒れ、変わりゆくものをいろいろ見てしまったように思う。そして、大学生3,4年のころはよくカフカを読んでいた。不条理の世界。希望のない世界・・・特にカフカの小説はそんな傾向が強かった。しかし、わたしにはちょうどよくかえって平安を感じたものだ。

 突然ですがゴキブリになりました。突然ですが意味も分からない審判で死刑となりました。そんな小説のどこが良いのか?何で惹かれたのか、かつてそう思いなおしカフカから遠ざかっていたが、最近は、日本でも自然災害、人的災害、テロの危険で世の中が何かカフカ的になり、カフカを思い出している。

 さて、不信感の塊になっているとき、エリクソンの人格形成論では、希望と基本的信頼と不信感を関係が強いものとしている。不信感でいっぱいなときは、希望を持つようにしなさい・・・という教えが裏にあるようなのだ。

 縄文後期、多摩周辺は人口が激減する。中期にはずいぶん栄えたのだが、後期になると・・・そんな時期に、田端遺跡にあるように東京・多摩でもストーンサークルができる。それは地域の共同墓地なのであるが、その場所が実に不思議である。

 冬至になると、美しくとがった丹沢山系の最高峰、ヒルガタケの頂上に太陽が沈むのである。よく考えると、太陽とヒルガタケの合体のようであり、太陽の再生、そしてお墓の祖先の再生を意味するようだ。縄文時代の祖先たちは、厳しい神も仏もいないのではという時代に、きっと、それだからこそ希望を持ったのだろう。まあ、そのおかげで私たちが今存在するといってもよい。

こころの柔軟体操 7/10

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