何でも修行をしていくと、自分のへんな癖とか陥りやすいパターンに気が付くようになる。やだやだと思うわけだが、なぜそうなのか考えると、意外に幼少期、あるいは両親をはじめとする周りの人たちとの関係から来ているのかなと思い至ことがある。嫌な癖だと思いつつも、それが長い個人史の歴史からくると考えると、その癖も腹に収まってくる。といって、癖はなかなか治らない。
ところで、人は初対面で瞬時に好悪の感情を、本人が気づくか否かは別として持つという。通りすがり的な人も多いので、その好きか嫌いかなどの感情が生活に大きな影響をもたらすことは確率的には低いかもしれないが、身近な人の場合は深刻な問題となる。さて、好悪等の感情も、時間と共に変化したり、大きく変わったりすることもあるようだ。そして、最近感じたのだが、Aさんのある癖が嫌だったのに、このごろは好ましく感じているなあと。
Aさんの癖に関心がまったくなければ、好きも嫌いもないが、関心をもち私ならこうするのに・・・など理想をもったり、あるいはその癖の現実を解釈する自分なりの傾向を考えたり。そんな理想と現実を思いめぐらしたり、そのギャップが不快感やストレスを生じさせることを考える。そして、そのストレスの原因である自分の理想と現実の解釈の仕方をあれこれと研究していくと、ストレスがストレスでなくなったりする。理想と現実が変わったからだろう。
今朝は自分の癖の永い歴史に思いを寄せているが、そんな中で他者の癖にやや寛容になってきたようだ。
明るい解釈は何故いいか 9/10