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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ぼんやり雲をながめて、パースナリティ理論!(差異を考える 9/10)

2010-09-04 | 第一章「意識と知覚」
ブログの写真を撮らねばと考えるが、猛暑の中外へ出る気にもならず、ベランダの花も元気がなく、雲を撮ることが多くなった。雲をぼんやりとながめる。幼いころにぼんやりと眺めることはあっても、大人になってからは、本当にまれであった。悪いけど、それほど暇な時間はなかった(それが、人生をつまらなくしている考えであったことに最近気づく)。

 じっくり見ていると、風で動いているのに気付く。あるいは、光線の微妙な影が観えたり、動いているのが観えたりする。幼いころによくやったように、雲を犬や魚、船などに見立てて空想する。

 撮った写真は、通常、パソコンに取り入れて、フリーソフトで編集する。今のソフトは良くできていて、明るさや、鮮やかさなどを簡単に変えたり、トリミングしたり回転させることができる。実際に見えるものと、全く違ったように変貌させることができる。こんなふうにして、雲をながめることを2度楽しむ。

 さて、雲を眺めるということを、カールロジャースのパースナリティ理論の命題から考えると、不思議な自分に気づく。例えば命題11は難しい表現であるが、次のように書いてある(難しいのが嫌いな人は読み飛ばしてくださいね)。

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11) いろいろな経験が個人の生活において生起すると、それらの経験は、
(a) なんらかの自己との関係へと象徴され、知覚され、体制化されるか、
(b) 自己構造との関係が全然知覚されないので無視されるか、
(c) その経験が自己の構造と矛盾するので、象徴化を拒否されるか、もしくは、
   歪曲された象徴化を与えられるか、のいずれかである。

(ロジャーズ全集 パースナリティ理論8 伊藤博訳 岩崎学術出版社)
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30分くらい、雲をながめ写真を撮りその後、編集して10枚くらい完成したが、これは、私がこれだと思ったものにシャッターを切り、ある程度納得して編集しきったものなのだろう。中には、自分の魂からにじみ出たような、五感や体感を大切にした写真もあるかもしれないが(あってほしいが)、他人から刷り込まれた意識が抜けきらない写真も多いのだろう(きっとそれは、定型的でつまらないもの)。

 ながめていても意識に昇らず、どこかに通り過ぎ去った雲たち?もあるのだろう(昔は、忙しいのでそれどころではないと、雲も見なかった)。それは、自分の知覚が変わったりすると意識ができ、きっと写真に撮るものもあるだろう。さらに、瞬間意識されても、自分が嫌だと思うような雲は捨てられる。

 何気ない写真でも、さまざまな自分をさらけ出しているようにも見える。

 でも、本当は隠すものなどあるだろうか。実は個性の美そのものかもしれない。

 今日も雲はながれていく。でも秋の雲をとりたい。

差異を考える 9/10(信じて見える世界 19/30)

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