イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

「花の下にて 春死なん」・・・などと (言語化 1/10)

2016-04-15 | 第一章「意識と知覚」

 学生時代の記憶で特異なのは、クラブ活動の部室の思い出である。授業をさぼって部室で語らったり・・・。ある時は突然先輩が訪れて楽しい会話があったり。部室の入り口に書かれていた落書きが不思議なことに今でも覚えていたり。

 そんな記憶の中で、不思議な会話がひとつ。

 部室の窓から見える花の名前を訊かれたことだ。確か、つつじだったか・・・誰でも知っている花の名前を問われた。私が答えると、こんな花の名前もしらないのか?誰かが笑って質問者をかるく侮蔑したようだが、どういうわけか自分のボキャブラリーについて私も不安を覚えた記憶だ。

 春になると、一斉にさまざまな花が咲く。野や山もさまざまな花でおおわれる。私は、言葉を知らない理科系人間だったが、年をとり記憶力が衰えるころから、植物や動物の名前に興味をもつようになった。鳥や花にはたいてい名前がある。考えてみれば不思議なことだが、名前をしることで、その対象に一歩近づけるような感覚がある。

 知らない可憐な花の名前を知ることに、どれだけ実用的な意味があるか分からないが、名前を知り、自分で名前を語ったりすることで対象に一歩近づく。そして、知らなかったことへの不安感が明るくほどけて幸福感に変わっていく。

 これが忘れな草、これが菫・・・、これが翡翠、などなど。

 昨年撮った写真を、眺めていたら、巻頭の写真が出てきた。年をとってから意識に昇った西行法師の有名な歌がある。

 願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃

 西行法師は、ちょうどこの季節に実際に亡くなったといわれている。もやもやとした世界を言語化し明確な思考を得る。そして、神秘的にもその歌のように西行自身もなくなる。

 言語化は生き甲斐の心理学では、3V(Visualize, Verbalize, Vitarize)の二番目、Verbalizeとして大事にしている。これについて、しばらく考えてみたい。

言語化 1/10

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