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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

構えて変になる私・・・そして健康になる秘訣は?(愛の領域⑫)

2010-05-10 | 第七章「光と復活体」

 藤が見たいと想いつつ公園に行き、藤棚を見つけて藤を愛でる。期待が大きいと、結構綺麗なのにもかかわらず、ちょっと失望したりする。その点、野の花は、思いがけないところで見つけ,得をした気になる。自分で作った理想と現実が、感情の世界では大きい。

 自然体が良いとはいえ、会議など公式の場などでは構えてしまう。発言もリラックスしていれば、もっと良いことを言えるのに、発言の内容を吟味して、発言しようかなどと想っているうちに、状況が変わってしまったりする。

 発言内容も、いつもと違って、こころの防衛のしくみもあり、堅くなってしまう。そして、発言が受け入れられないと落胆したり、うまくいくと尊大な気分になったりもする。不思議の国のアリスではないが、身体が大きくなったり、小さくなったりするようなものである。

 等身大の自分で良いのに、そうもいかない。生活がかかっていたりするからだ。自分を変に責めたりするのは良くない。

 社会生活では構えることが多い。そして、いつの間にか自分の等身を忘れて、大きな自分になっていたりする。自分はユニークだ、重要な存在だ・・・。自分の過去を振り返るとそういう時期があったのも事実である。

 しかし、褒められることが愛されることだろうか。凄いと思われることが愛されることなのだろうか。自分が大きくなることで、愛の原型(昨日述べた)が満たされるわけでもなく、どこか孤独感が漂う。感情は素直に警告を与えてくれたりするものだ。

 それに気づいて、謙虚にならねばと軌道修正できればよいが、孤独感を何かで発散し時間を無駄にしてしまいがち。そして、こころの健康を失っていく(プロセス・スケール参照)。

 そんな時に、自分がこころの健康を回復できた。それは何であろうか?まだ、生き甲斐の心理学を勉強していない時であった。

 いろいろあったが、一つは欧米の心理学の影響を受けたあるトレーニングコースに参加したためだと思う。そこでは、生き甲斐の心理学でいう3つのポイントが、表現は違うが網羅されていたようだった。生き甲斐の心理学では次の3つが重要だ。

1.自分は何のために生きているか?

2.生き甲斐は何か?

3.自分を大切にしているか?

 それをかなり継続的に考え行動する中で、自分の狭い見方を、どこかで払しょくすることができたのだろう。

 藤の花は、自分の理想や現実の評価ではなく、ごくごく自然に咲いているものだ。狭い自分の見方をちょっと変えるだけで良いのだろう。

(愛の領域⑫(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 52/60)

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