最近の時代の変化は実に凄いものがある。たとえば政治の世界は、この一週間くらいで10年分くらい変わったと言う方もいらっしゃる。某国のこの夏から秋の出来事は何だったのか?そんなことを思ってしまう。
そして、こうした急速に変わる時代を私たちは生きているのだろうが、それは自己概念が時代についていけないためのストレスでいっぱいなのだろう。しかし、その中でも、まいってしまう人もいれば、逆にイキイキと生きている人もいる。ちょっと不思議な感じもするが、それが現実だ。
昨日のブログで思索したがストレスは自己概念が中心なのだ。他者はきっかけになるかもしれないがストレスそのものではない。そして、考え方(無意識の世界をふくめ)が変われば世界が変わる。以前、ストレスを理想と現実のギャップと述べたことがあるが、それはあくまで本人の内的な世界での出来事なのだ、そして、無意識の世界もからむ。
ロジャースの人格形成論の命題から、ストレスを厳密にのべると次のようになるのだろう。
命題14:心理的不適応は、有機体が、重要な感官的・内臓的経験を意識することを拒否し、したがって、そのような経験が象徴化されず、自己構造のゲシュタルトへと体制化されないときに存在する。この状況が存在するとき、基本的もしくは潜勢力的(potential)な心理的緊張がある。
今日は、大きな政治とか時代とかを考えてしまっているが、ふと縄文時代末期の祖先たちの苦労を思う。縄文から弥生。人種が変わったと今時言明する学者はいないが、かなり文化が変わる。しかし、昨晩、地域ごとの(例えば中部日本)縄文末期の土器と弥生初期の土器を比べて眺めたが、確かに弥生的になるが図柄など継承されているところもあるのだ。文化の継承はしっかりとされているのだ。
そして、それからの弥生、古墳時代を経て、日本は戦争する国となり、文字を持つ国となり、律令制の国となっていく。しかし、変わらないところもたくさんある。一万年以上の土器文化、漆文化は継承されたし、その他・・・日本的なこころの原型も継承されてきたのだと思う。
何を残し(大切なもの)、何を捨てるか・・・これは今も昔も大事なストレス解消法なのだろう。
他者からのストレス 4/10