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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

地獄で仏に会う!(忠誠心を考える 3/10)

2018-08-09 | 第七章「光と復活体」

 「地獄で仏に会う」ということわざを実感したのは、中学生から高校生、大学くらいの青年時代だったようだ。ちょうど心理学者のエリクソンが<忠誠心、アイデンティティ、自己混乱感>が発達する時期に相当する。受験をして何校か不合格の後にやっと合格したときもあるが、印象的なのは高校時代の旅行のことだ。

 高校3年になる前の春休みだったと思うが、私が伊豆半島に詳しかったこともあり、南伊豆から西伊豆を散策する旅の計画を作り、高校の5-6名の同級生の友達と共に旅をしたときだった。旅程を地図から見積もってエイヤと決め、民宿を予約しあれこれと準備して出かけたのだが、一泊目の場所から次の宿に向けての旅程で、山道を通って夕方に着くはずの宿がなかなか見つからない。道に迷ったようで、さらに夜のとばりが降りてくる。腹は減り疲れはたまり皆口数も減っていった。

 そんなときにトラックで帰宅する村の人に運良く出会い事情を話し、乗せてもらって全員なんとか宿に着き、宿の主人も温かく迎えてくれた。村の人や宿の方々が本当に仏に見えたものだ。

 これは、一つの例だが、自分の人生を振り返ると小さい地獄?を含めて困ったときに、人に頼り(忠誠心、信頼心をもって)助かったことは星の数ほどあるようだ。先に神仏こそ忠誠心の対象とお話したが、いつも盲信するのは考え物だが、人を信じることで心は安定し幸福感まで到達することすらある。

 因みに、世界各国の神話や多くの宗教でも、人間(時に広げて生命)は神仏と別個のものというより、神仏の属性を所持する存在としていることが多いようだ。日本の宗教界に大きな影響を与えた「草木国土悉皆成仏」という思想は、私は密かに縄文時代からのものでもあると考えているが、今でも多くの日本人の心の底に流れ、世界に通じる普遍性があると思っている。(「人類哲学序説」梅原猛著 岩波新書 2013年参照)。なお、私はカトリック信徒であるので、聖パウロの「人の身体は神の神殿」という言葉を信じている。

忠誠心を考える 3/10 

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