イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

辛い時でも瞬間的に心地の良い世界に・・・(私にとっての吉野 1/10)

2018-01-13 | 第九章「愛」

 残念なことに、愛犬ノコちゃんが昨日の昼頃に亡くなった。16年と5カ月のノコの生涯は「縄文小説」を書くに至る私の今(笑)、に直接関係する時代で、何か戦友を失ったような気がする。

 しかし、こんな時でも、楽しい仲間と談笑したり、美しい音楽を聴いたりすると、瞬間的に温かい、心地の良い世界を本当にありがたく味わったりする。

 さて、持統天皇のことであるが、持統天皇が31回吉野に行幸をされたということが日本書紀に記されているが、持統天皇にとって吉野は何だったのだろうか。もちろん一流の政治家でもある持統天皇であるので、さまざまな意味があると思われるが、成育史から考えていくと、いろいろ見えて来る。

 一つは吉野は壬申の乱の発端の地であることだ。大海人皇子(天武天皇)という夫に賭け、天武天皇も死と隣り合わせ落ち延びたが、妻の持統天皇も同じように正に命を掛けて吉野に下り、壬申の乱を計る。その時の身内といえば、天武天皇の妻は持統天皇ただ一人。その他、皇子として草壁皇子(息子)と忍壁皇子くらいであり。総勢20名程度だったようだ。

 何代か前の時代に厩戸皇子の息子の山背大兄皇子が蘇我氏に攻められ、婦人や子供たちと生駒山中に逃亡したのに似ている(その後、殆どが自死を遂げる悲劇に)。さらに、少し前には、やはり仏門に入り吉野に落ち延びた古人大兄皇子も、吉野で謀反の罪で亡くなっている。

 しかし、この時期は妻が沢山いる天武天皇であったが、唯一の正妻、持統天皇のみが同伴したので、持統天皇にとっては夫を独占できた時代とも言える。さらに愛する一人息子である草壁皇子も同伴している。それ故、危機の時代でありながら、その反対の至福の時代であったかもしれない(感情的には錯乱と統御感)。影が深い時に光は強くなるのにとても似ている。

 持統天皇の生涯において、沢山の苦しい時があったと思う。天武天皇や草壁皇子が亡くなったあとも政治状況は非常に不安定だったと思われる。そんな時、吉野を思い出し、瞬間的に平安を得る。あるいは実際に吉野に行って、心を整える。

 楽しい世界に一瞬ワープできる。それは、大事な私の財産かもしれない。有難いことである。

 写真は吉野宮滝。この写真で楽しい2013年の奈良の旅で楽しい世界にワープ!

私にとっての吉野 1/10

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