イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

地元を旅して地元を愛するように!(旅の意味① 4/10)

2013-11-02 | 第八章「魂と聖霊」

 昨日はオフで一日地元の八王子の旅をした。南多摩に住むようになって30年近くなるのだが、地元で納得できる旅することは殆どなかった。納得できる旅は、ある程度の下準備と自分の身体と心と魂を大切にする気合が入った旅だ。

 この2-3日府中・遠足の関係もあり「市民のための 八王子の歴史」(樋口豊治著)を読んだりしたり、日本の中世についていろいろ想いを馳せたりしていたので、八王子の原型を作ったとされる大久保長安の展示をしている郷土資料館を訪問し、その後に八王子城址を訪問した。

 最近映画で、「のぼうの城」が有名になったが、戦国時代の末期から江戸時代の大変動の時期は興味がわく。その中でも、八王子がある武蔵の国は豊臣秀吉が全国制覇を遂げる最後の敵、北条氏の支配下にあった。そして、日本の名城100にも入る山城・八王子城は当時としては最先端の城で、2万の敵に包囲されつつも、3000の味方で戦ったようだ。しかし激戦の末に一日で落城する。

 なお、八王子城の城主であった北条氏照は、この時小田原の本城に精鋭をつれて本城に籠城していた。外交家で有能な氏照は、秀吉に目をつけられ徹底的にマークされ嫌われたこともあったようだ。そのため、八王子城は徹底的に攻撃されたようだ、そして、八王子城の落城の衝撃は大きく、小田原城の北条氏は決戦をすることなく開城し戦国時代が終わる。

 北条氏照の館があった場所は、今でもブルーシートがあったりし発掘作業をされていたが、その庭園の遺跡は実に驚くべきものだそうで、往時には池には湧水が流れていたようだ。

 (庭園の池のあとの発掘作業をされていた)

 (馬も通ったという御主殿前の遺跡)

 落城時に武将や婦女子が滝の上で自刃した御主殿の滝は、先日の台風の影響か豊富な水であったが、傍にはお供えがあったりし、悲しみをさそう。

 しかし、こうした悲しい落城があったものの、その後、戦い敗れた人達や子孫が、新しい時代で活躍された人も多いようだ。落城で亡くなった家臣・中山家範の子供たちは、家康に抜擢され、旗本や水戸徳川家の附家老に着任したりしたという。

 数奇な人の歴史などを読んでいくと、なんとも言えない気持ちになる。歴史は、なんとなくらせん状に、一時は悲惨を見せつつも上昇していくこともあるようだ。なんとも不思議なものである。

 蛇足だが、地元の歴史を勉強することは、その土地の人々の生育史の基盤を理解することにつながり、結局は地元の人をより大切にするための知識になると思う。県民性が最近話題になっているが、表層な知識ではなく歴史もじっくり勉強する意味は大きい。

旅の意味① 4/10

人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o 

 



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。