世の中には、努力をして得られるものもあるが、棚から牡丹餅のようなものもある。
動物園の思い出は楽しい思い出に満ちている。両親に連れられて行った上野動物園、母に連れられて行った異国の動物園。子供を連れて行った動物園。この多摩動物公園にも・・・
さりげなく、贈られ贈った楽しみ。何か必至に努力して得たものより、もっと大事なように感じてしまうこの頃である。
そうだ、今日は動物園にでも行こうか! そんな会話から始まる贈り物。
自己肯定・他者否定、古来からのいじめなどを考えてきたが、こころの世界での肯定と否定のアンバランスは、人を緊張させ自分のこころの場所を「今ここ」にではなく、過去や未来を彷徨わせてしまう。
最近多くのメルヘンの古典を読んで気付くのは、「今ここ」という日常の中にある努力なしの贈り物の可能性である。冒険も大切ではあるが、贈り物はもっと大切かもしれない。
肩の力を抜いてちょっと歩けば、メビウスの輪の裏にある動物園が待っているかもしれない。
<自己肯定、他者否定 6/6>
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