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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

「みどり」を「あお」と言ってたお祖母さん、ゴメンね!(受容の不思議 8/10)

2011-10-17 | 第四章「愛とゆるし」

 少年少女時代の不思議に覚えている記憶は、どうもフロイトの14の防衛機制の原型につながるものが多いようだ。

 さて、「やつあたり」とか、本来向けるべき矛先を替えて、みじかな人に感情をぶつけるという感情転移の現象がある。これは、こころを健全にする良い面もあるのだが(すっきりすることも)、矛先を向けられた人には迷惑だ。また、感情転移をしょっちゅう行うひとは、真実が見えにくくなり、幸福をつかみにくくなるとも言われる。

 わたしもしょっちゅう、この感情転移にぶつかるが、自分の感情転移の原型を思索することはとても大切だ。幼いころの様々な生活のシーンで、忘れられないことがある。それを思索すると、倫理道徳とは別に、こころの仕組みに関する問題(セルフコントロールに関するなど)が理解しやすくなる。

 8歳のころ、隣の祖父母の家で遊んでいたとき、何が原因だったか忘れたが(感情転移の特長かもしれない)、私が激怒して祖母に暴言をはいた(嫌な言葉だった!)。そして、掃除をしていた祖母がびっくりし、そばにいた母も驚いた。

 それから、まもなく祖母は入院し、しばらく入院生活をした後に亡くなった。それは、罪悪感の原型の一つだったと思うが、一方で感情転移の原型に関係しているようだ。

 生き甲斐の心理学を勉強すると、前にも述べたが、幼い頃のことが気になり、幼い頃の自分の解釈を客観的に再考するために母に当時のことを訊いたりした。

 祖母の悩みは当時なんであったか。当時の人間関係なども、幼い頃では絶対理解できないことも学べた。悩みは第一に体調の問題だったようだ。それが、祖母の感情転移を産み、暗い感情が私に向けられ、さらに私が、感情転移して暴言を吐く。そんなことも考えられる。

 あるいは、祖父母の家の文化というのもあったように思う。祖母の印象といえば、駄菓子は疫痢になるから食べるなとか、これはこうして食べろとか、いろいろやかましい面があり、当時は結構反発した。祖父は日常の中では原則なにも小言を言わない。祖母が逐次対応するのだ。自分のことを人一倍心配してくれたんだなと、今は思うが、当時はけむたかった。

 祖母は10人の子供を育て、2人も子供を幼くして亡くしている。今の常識では考えられない人生を歩んだと思う。幼い子供を亡くすということも、大きなことだったのだろう。それが過剰な孫への対応に繋がったのだろう。

 勿論、楽しい思い出などもある。何かあると、ちり紙に甘納豆をくるんでくれた。アラスカで暮らしたときも、必要なものを送ってくれ、感謝したことも。

 ある時、小学校の友達と祖父母の家で遊んでいたときに、祖母がみどりを青ということに気づき驚いた。

 祖母は京都の出で、日本画を書いたリしていたので、今考えると、それも決して間違えではなかった。でも、当時は学校と違ってへんなことを言っているとおもった。

 いずれにしても、何かのタイミングで暴言を吐いたのだ。

 祖母が亡くなるとき、何か私のことで話したかと母にきいたが、私の暴言には応えたと行っていたそうだ。ガンで痩せていく中で、私が言った暴言はこたえたようだ。

 おばあさん、ゴメンね!

受容の不思議 8/10

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