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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

天国はあるのだろうか?(森羅万象 8/10)

2012-04-06 | 第十章「今ここでの恩寵」

 冬に行った東北の被災地。ほんとうに神も仏も信じられない世界というのは、このことだった。多くの命はどうなったのだろう。悲しかった。

 3.11後、私の知っている2人の方が、聖書のヨブ記を読み返したと聴いた。信心深いヨブがどういうわけか悲惨・不幸を経験する話である。神も仏もないような極限の状況から人は何かを信じることが可能か?人類に残された知恵の書である。

 さて、この一か月は、脳科学の本を読んだり、最新の物理学の動向を教えてもらったりした。脳科学の知見は不思議であり、利己的なだけでなく利他的な(自他肯定)生命の本質を明らかにしてくれているように思えた。一方、豊かな感情や思考の世界も、身体と密接に接合しているため、視覚や聴覚と同様に有限で、何となく身体の死とともに無くなることが見えてきたようで不安だった。一方物理学の世界については、この世は分りやすい現象としての3次元の世界+時間の世界ではなく、4次元で想像を絶する量子論の世界をさらに越え、11次元の謎の世界(ブラックホールの内部、ひょっとすると生命の本質までリアルに理解できるかも)を描きつつあるようだった。実に神秘的である。

 一神教の文化の中で、ニュートンやデカルト、ガリレオ、スピノザが生まれ、光と影の強い科学とテクノロジーの世界が現出してきた(真実は神の属性とする考えから科学が生まれてきたのだと思う)。そして、その中で科学は自分を産んだ宗教の世界と溝を開けてきたようだ。

 たとえば、世界で20億人(2002年の統計)の信者数のキリスト教では、ニケアコンスタンチノーブル信条で「死者のよみがえりと、来世の生命を待ち望む」とあるが、この死者のよみがえり(もちろん現世的なよみがえりではないだろうが)をどのくらいの科学者が受け入れたであろうか?しかし、最近の脳科学の本を読むと、心と身体の不思議な関係が明確になってきているようで、身体の復活の意味を再評価せざるを得ない。

 来世や天国の存在、神仏の存在は、否定するものも否定しないものも、残念ながら確固たる証拠をしめせないのが現状だと思う。

 その中で、私は亡くなった人との天国での楽しい再会を信じる。父や祖父母やたくさんの知人と。それは私の信仰ではあるが、キリスト教のオリジナルということでもなく、今から5000年前のエジプトの宗教からのもののようだ。

 森羅万象 8/10

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