イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

他者を解釈するのは難しい・・・(自己実現 10/10)

2017-01-28 | 第一章「意識と知覚」

 昨日は半日かけて、渋谷の國學院大學博物館の火焔型土器の特別展に行った。縄文が見直され始めた火焔型土器。国宝も展示されていて、じっくり拝見でき良かったが、私にとっては何か謎めいたものが残った。

 火焔型土器といっても、それは何を意図して作られたのか。それが言葉は先行していても良くわからないことが大きい。これは他の縄文中期の土器の大半と比べてもそうなのであるが、意味が解らないものに接して、なにか戸惑うのはおかしいことなのだろうか。おまけに、個人的には同じ時期の土器でも山梨県立博物館などで見た他の地域の土器のが美しいようにさえ思えた。これは個人の好みの問題かもしれないが。

 さて、火焔型土器もそうだが歴史本に素直になれないところがある。この数日、立て続けに中村修也氏の天智天皇関係の本「天智天皇と東アジア」、「偽りの対価海進」を読ませていただいた。以前、遠山美都男氏の「日本書紀の虚構と史実」、「天智と持統」を読んだことがあり、今まで知っていた、日本書紀の記述の沿った歴史観(7-8世紀)の問題を改めて確認した。いくら当時の最高権威をもって編纂した書物でも問題があると。

 個人的に、天智天皇陵、天武・持統天皇陵、難波京跡、孝徳天皇陵、鬼ノ城などで感じた経験も加味すると、天武朝で作られた日本書紀の記述が、壬申の乱で敵側だった大友皇子(天智天皇の実子)を歪めて書く(解釈)ことは大いにあると思うようになった。冷酷なマキャベリストと思っていた天智天皇は、意外にもそうではないようだ。

 この確信は私の1-2年の経験にある。持統天皇が作った天武・持統天皇陵の真北に天智天皇陵があることに気づいたことが一番だ。天智天皇の娘・持統天皇が作ったので当たり前かもしれないが、持統天皇が父にどこか理想像を描いていたということだ。持統天皇は大友皇子の近江政権と戦ったのは確かだが、天智天皇には尊敬の念をもっていたのではないか。

 歴史もそうだが、他者を評価したりすること、他者を解釈することを、日常のなかで気楽にする。しかし、実際は実に難しいことだ、他者分析は自己分析と比べると格段に難しい。

 自己実現の道は、そうした他者にふられないで、自分のこころをより確かめつつ歩むほうが良いようだ。と言っても、その道も実に険しい。

自己実現 10/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています!