イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

古代人の「罪と罰」を近所の古墳で想う・・・(旅の意味② 4/10)

2013-11-12 | 第八章「魂と聖霊」

 南多摩に住むようになって30年は経つのだが、近所に八角形墳の古墳があることはつゆ知らずであった。

 先日行った、武蔵府中熊野神社で関東の古墳も興味を持つようになったり、6月にも行った天武天皇・持統天皇の御陵も八角形古墳の影響もあり、何気なく調べていたら多摩市の稲荷塚古墳を知るようになったのだ。

 そして、昨日の夕方に立ち寄ってみた。多摩市和田のスーパーマーケット・サミットの近くである。明治時代に墳丘の2段目が削り取られ・盗掘されたりしたようだが、七世紀前半のもので、横穴式石室は埋め戻され、そのあとがレンガでわかるように残されていた。

    

 八角形墳は、天智天皇から天武天皇、文武天皇と天皇の政治力が絶大だったころに出現し、万葉集でよく、「やすみしし」という言葉がでてくるが、当時の皇族関係の墳墓の様式として知られていたが、この稲荷塚古墳が近畿以外ではじめて見つかった八角形墳だそうだ。

 日本書紀の安閑天皇の時代に武蔵国で国造争奪戦があり、豪族・使主(おみ)が小杵(おさ)との争いで中央政権に支援を頼み結局小杵を誅殺できたために、屯倉として土地を寄進したという記述がある。そして、その屯倉の一つ多氷がこの地ではないかという説もあり、高貴な方の古墳だと私は想像する。

 ちょうど、ジブリのかぐや姫の物語を試写会で観たこともあり、古代人の罪と罰なども考えてしまった。

 さて、この古墳もそうだが、古墳に行って心を痛めるのは盗掘や開発などである。もう千年以上前なので、しかたがないという見方もあるだろうが、故人の死を悼み、あの世での安寧を想った周りの人々の気持ちである。ただ、府中の熊野神社もそうであったが、神社が墳丘のあとにでき、幼稚園がそばにあったりするのは日本人の優しさを感じてしまう。

 罪悪感は、生き甲斐の心理学の世界にも登場するが、宗教の世界、あるいは生命体や魂の問題であると私は思っている(私は十字架の贖罪を信じるキリスト教徒)。

 昨日のブログでも触れたが、私の祖母は8歳の時に亡くなった。5-7歳はエリクソンでいうと、目的志向性、自発性、罪悪感が育つ時期だとされている。自分を大事にしてくれたのに、悪態をついたりした祖母の死は、幼いながら罪悪感を確実に植え付けたように思う。

 罪悪感は人をネガティブにさせるが、一方目的志向性の中で解消できる部分もあるようだ。謀略等の蔓延る古代の政治の中で持統天皇(同じ八角形墳で埋葬された)は、おそらく自らも謀殺等に関わらざるを得なかったと思う。しかし、権力に固執し日本の原型というか律令国家成立に多大な貢献をした(伊勢神宮の式年遷宮にも関わった)。多くは宗教の問題だと思うが、エリクソンの目的志向性を大切にすることは、罪悪感で打ちのめされないためにも大切な知恵だと思う。 

旅の意味② 4/10

人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o