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青島旅行 4日目
大連へ帰る日。
朝食は近くの店で「小豆粥、ゆでたまご、揚げパン 2人分で5元」
安くておいしい。宿で食べるものより、外で普通の中国人の朝食と同じものが楽しい。
帰るために青島駅前の満席になったら発車という時間の定まらないバス(流水発車)に乗る。
来た時と同じ煙台へ向かう。
道はリンゴ畑の丘やトウモロコシ畑の道を走って走って4時間過ぎてやっと煙台へ。
なぜだか時間がかかり途中で乗客の激しい要望でトイレ休憩1回、要望しないと止まらないのか?
そう言えば上海から夫の住む蕪湖迄高速バスで行った時も5時間半から6時間、休憩は1回か
多くても小休止1回と食事休憩1回、食事休憩ない時もあり皆さん我慢強かった。
煙台で大連行きの高速船の切符を買おうとしたら「今日の分は売り切れ」と。
仕方がないので少し高い豪華船の2等船室にする。
1部屋に二段ベットが2つ、トイレとシャワー付き。
同室者は中国人の若い夫婦と7歳の女の子、若い父親は私達に気をつかってベッドのセットや
シャワーの使い方、案内放送等も英語で説明してくれる。
女の子はベッドに腰掛けてピアノの演奏の真似ごと。両親はとてもうれしそうに私たちを見るので
「ピアノ習っているの? それはすごいね!」とちょこっと中国語で褒めるとほんとに満足そう。
当時の中国ではピアノを習うのは凄い事だったのです。
もっともシャワー付きの豪華船に乗れるのだからゆとりのある方達だったのでしょう。
一人270元位?当時、師範学校を出て見習い教員さんの給料は1ヶ月1000元ほどでした。
煙台から大連へ渤海海峡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/26/af640980c52f91015a93271943ee008a.jpg)
いつだったかお世話になった学校の幹部の一人を宿舎の部屋にお招きした時も奥さんと8歳の娘さんを
伴って来て私達の前で「今日はピアノ練習したか?」と聞くのです。
私達は「まぁ ピアノ習っているの? ピアノを持っているの!」と驚いて見せたことがありました。
私はお酒が好きだと聞いた幹部の男性お1人をお酒でもご一緒にのつもりでしたが、3人でいらして
びっくり!家に招待すると言う事は家族で、という事なのですね。知らなくて・・・おろおろ。
でも、ま、中国流に料理は沢山あまるように用意していたのでなんとかなりました。
ちらし寿司、ひじきの五目煮、胡麻和え、天ぷら、大連産のカニなどでした。
漆塗りの木のお椀をとても珍しがって「レンジは使えますか?」なんて聞いてらした。
7時間ほどの船旅は二段ベッドでウトウトするうちに夜遅い大連港につき タクシーで宿舎へ。
3泊4日の青島ミステリーツアーが終わり宿舎のギシギシいうベットにホッとしました。
今日はお天気が下り坂のようですね。
雨も降らないと、火事が...
青島>
スケッチの建物がチンタオらしいですね。
ここに行きたかったのです。中国で外国
の影響を受けた建物はどんなのかと。
ドイツの影響の青島ビールは有名です
ものね。
よその国とのお付き合いは気は張るけれど楽しいですね。ここの国でお世話に
なって、交流がないと思い出も広がり
ませんね。
漆塗のお椀、高級ですもの、珍しいで
しょうね。ひろさんのお料理..
美味しそう♪
青島はドイツ、大連はロシアの建物が沢山残っていました。
もちろん日本の建物も現役で使われていました。
高級でなくても漆の食器は軽くて 見栄えが良いので
日本から持ってゆき何を盛り付けても珍しがられて
ヘタなお料理も 少しはましに…役立ちました。
僕も青島のドイツの残した西洋建築を巡りました。大連と同様、けっこう荒れていましたが、それを含めて味がありましたね。
建築でも、機械でも、僕は、実用で使われていてなんぼと思います。
ひろさんのスケッチを拝見して、10年以上むかしにタイムスリップさせていただきました。
では、また。
ピカピカに修理保存された建物より暮らしの中で汚れても頑張っている建物の方が私も好きです。絵にもしたくなります。
各地に残る洋風建築、中国の近代史ですね。