20年前滞在していた蕪湖の市場
あれから20年の「あれから」とは私が初めて中国に行った時のこと。
1999年8月終わり頃、赴任する夫の短期同伴者として1カ月間のビザで中国に着いた時、ちょうど
建国50年の看板がいたる所にありました。
赴任先の蕪湖市でも中心部はお化粧直しの真っ最中。行く先々で土埃がモクモク。デコボコ道が磨かれ
た石で覆われて、歩いたら滑って転びそうなピカピカ道に変わり、表通りの古いビルは解体されたり
見栄よく化粧直し。
あっという間に1ヶ月の滞在期間が終わり1人で帰国することになりました。
住んでいた街からバスで南京へ、南京から北京へは飛行機、北京で一泊、折角なのでちょっとは見物
しようと天安門広場へ出かけました。
ガイドブックには天安門に登れると書いてあったからですが、それはとても無理な事でした。
行った日は建国記念日1週間前の9月24日、警備が厳重で近寄ることも出来ません。
軍隊だか武装警官だかとにかく怖そうな人たちが沢山いてカメラも向けられずにそのまま大回りして
故宮へ向かいました。
昨日はテレビで長安街を行く盛大な「中国建国70年祝賀パレード」を見て20年前のことを思い出して
いました。あの時の私は出かけてはみたものの戻るホテルが見つからず夕暮れの街に満月が昇るのを
眺めながら広い長安街をテクテク歩いて心細かった。
2019年10月1日建国70年「いかなる力も偉大な祖国の地位を揺るがし、中国人民と中華民族の前進の
歩みを妨げることはできない」自信にあふれた習主席の演説でした。
これから20年、この国と世界はどう変わって行くのでしょうか。
近い未来に不安というよりも恐ろしさを感じています。
蕪湖の街から長江を望む
※またまた週末までブログお休みしたします
あれから20年の「あれから」とは私が初めて中国に行った時のこと。
1999年8月終わり頃、赴任する夫の短期同伴者として1カ月間のビザで中国に着いた時、ちょうど
建国50年の看板がいたる所にありました。
赴任先の蕪湖市でも中心部はお化粧直しの真っ最中。行く先々で土埃がモクモク。デコボコ道が磨かれ
た石で覆われて、歩いたら滑って転びそうなピカピカ道に変わり、表通りの古いビルは解体されたり
見栄よく化粧直し。
あっという間に1ヶ月の滞在期間が終わり1人で帰国することになりました。
住んでいた街からバスで南京へ、南京から北京へは飛行機、北京で一泊、折角なのでちょっとは見物
しようと天安門広場へ出かけました。
ガイドブックには天安門に登れると書いてあったからですが、それはとても無理な事でした。
行った日は建国記念日1週間前の9月24日、警備が厳重で近寄ることも出来ません。
軍隊だか武装警官だかとにかく怖そうな人たちが沢山いてカメラも向けられずにそのまま大回りして
故宮へ向かいました。
昨日はテレビで長安街を行く盛大な「中国建国70年祝賀パレード」を見て20年前のことを思い出して
いました。あの時の私は出かけてはみたものの戻るホテルが見つからず夕暮れの街に満月が昇るのを
眺めながら広い長安街をテクテク歩いて心細かった。
2019年10月1日建国70年「いかなる力も偉大な祖国の地位を揺るがし、中国人民と中華民族の前進の
歩みを妨げることはできない」自信にあふれた習主席の演説でした。
これから20年、この国と世界はどう変わって行くのでしょうか。
近い未来に不安というよりも恐ろしさを感じています。
蕪湖の街から長江を望む
※またまた週末までブログお休みしたします
中国の軍事力はすぐにアメリカに追いつくでしょうね。
そうなるとアメリカとの間で、かつてソ連との間で続いた緊張下の「冷戦」に似た緊張状態が生まれるのかもしれませんね。
とばっちりは来ますからね、日本には。そんなの真っ平御免です。
力を持つと人は傲慢になりがちです。アメリカ自身がいい例です。世界の警察官だなんて…、様々なところに武力介入を続けてきました。
ソ連もまた然り。
その前に習近平の主席の地位はどうなっているかです。終身主席なんてありえないことですからね。
夕方の飛行機に乗って西に向かうから中々日が沈まないのが何か不思議な感じしましたっけ。
その前の年に受け入れした中国の方と再会して酒を酌み交わしましたっけ。
一人一人だと仲良く成れるのに国同士だと色々と難しくてもどかしいですな~
そうですか、20年前の中国で滞在でしたか。
夫は2度ほど40年前くらいに行きましたので写真を色々見ているのですが・・・
現在の中国が他国を支配下に置けば怖いです。
日本だって、かって植民地があったのではと言っても日本は他国でインフラ整備をきちんとしたと思います。
↑のお方がおっしゃるように、大昔の中国には学ぶべきことが多々ありました。
なんか残念です・・・
絵素晴らしいです°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
漢字よりひらがなやカタカナが好きです。
東アジアとロシアの地域はとても不安定で、
楽観できる材料がとても乏しいと感じます。
欧米諸国だけですがずいぶん訪れて、
なにげない街角でヒトの暮らしの温もりを感じると、
どうして戦ったのだろうとフシギでした。
宇宙からの侵略者でも来ない限り、
団結は困難なのでしょうか。
でも、
地球にも、災害気象をもたらす強大な相手が現れて、
一緒に立ち向かわないと滅びてしまうでしょう。
植物たちも仲間です。
今日ははっきりしないお天気でしたね。
台湾に住んで、同じ民族なのに、嫌う人が、日本人を信頼する人が多くて..でも、台湾も香港のようになってほしくないと心から願っています。
香港でのデモ..あれだけ開放的な香港が中國とは相いれないのはわかっていて..ニュースを見ると可哀そうになり
ます。返還50年の約束は守らないと。
個々の人たちは親切な人が多いのに.
国になると..怖いと。
私が時々出かけた1999年から2004年までの間にも大きな変化が続いていました。
豊かになると言う事は失うものもあると言う事のようですね。
20年前「日本軍国主義」などとかの国で悪く言われていたのですが、力を持てば・・・
この先日本はどう生き残って行けるのでしょう?
孫たちのために明るい未来をと祈るだけでしょうか。
おっしゃるように個人的にはほとんどの方は良い方なのですけど国となると難しいですね。
残念な事です。
20年前から5年間に何度も出かけて刺激的な時を過ごしました。
南京の南100キロほどの街でしたが当時は嫌な思いをする事もなかったです。
それぞれが持つ歴史認識、どれが正しくてどこが間違っているのか、難しいですね。
20年前ちょうどはがき絵を描き始めた頃、楽しいばかりで迷いがなくて今の絵よりもいいなぁと自分では思います。