澤山トオル
この名前のマンガ家をご存知だろうか。
今まで2冊の単行本を「一気堂書房」という
はっきりいって聞いたこともない出版社から出している。
そしてまた彼は恐ろしく寡作だ。
処女作「つぐみの庭」は1992年発行。
2作目の「アフターグロウ」は2001年の発行。
10年近い間が空いているのだ。
しかし作品の雰囲気はというと驚くほど変わらない。
彼の作品の特徴は静まり返った空間を感じさせる絵だ。
どんなに激しい暴力シーンが描かれていても、
それは水底で行われているかのように
登場人物たちの背後には広大ではあるが、
どこか淀んだ空間が広がっている。
そして描かれているのは一貫して、
人間の心である。
しかもどちらかといえば、人間の心の暗部。
彼の作品に出てくる登場人物には必ず、大きな欠如がある。
愛情や、周囲の人間に対する配慮、そして道徳心。
そういった心の動きに関わるものが何か大きく欠如している。
「つぐみの庭」に収録されている60ページほどの中篇、
「地軸」ではそれは愛情だった。
主人公は妻子を持つ、もうすぐ40になる男だ。
社会的な地位もある程度あり、
会社では将来を嘱望される身。
家庭も円満なように周囲からは見えているし、
実際本人達ですら問題に気付かないほど、
彼らは幸せに過ごしている。
しかしそれはあるひとつの小さな事件をきっかけに崩れる。
最初は、微妙な<ずれ>だが、
確実に今までの<幸せな丸い世界>の形を
いびつに変えていくのだ。
澤山はその微妙なずれの積み重ねを執拗に描いていく。
男は自分の心にそして感情の動きに違和感を感じる。
本当は誰に対しても、何に対しても
愛情を抱いていない自分に気付き、
そのギャップを埋めるための行動を開始する。
やがて違和感はふくらみ、
男は周囲をゆるやかな狂気で包み込んでいく。
狂気は別の狂気を喚起する。
狂気の連鎖がおこるのだ。
人間の心の暗闇にある共通項がそこから見えてくる。
そして最新作(といってももう4年前だが)の
「アフターグロウ」では主人公は11歳の男の子だ。
澤山が描く欠如はさらに進み、
今度の主人公の彼にはおおよそ人間らしい感情全てが
欠如しているように見える。
彼は新興住宅地に住んでいる。
普通の小学生としての暮らしが描かれている。
20ページほど、その様子が描かれているのだが
そこには「地軸」と同様、微妙なずれが仕込まれているのだ。
やがて、親、友人、教師を巻き込み、
彼を中心として物語は大きく動いていく。
今度の話では多くの人が死んでいくが、
その死は救われない死ばかりである。
<裏切り>というのがこの作品のキーワードと思われるが
そこには多種多様の裏切りが描かれている。
主人公の少年に強烈な不快感を抱きつつも
次はどうやってやるのか、
その次はどんな残酷な方法で、と読者に期待させる。
読み進めれば進めるほどに
その残酷な思考法に同化させられている。
不快と思っていた心の動きが自分の中にも在る、
そのことに気付かされるのだ。
そして物語は最悪な状況でふいに終わる。
澤山の描く物語には救いがない。
はっきり言って、読後感は最悪といってもいいほどだが、
なぜだか読み出すと止まらない魅力がある。
決して一般受けするとは思えないが、
私は次回作を待っている。
たとえ、それが10年後であろうと。
しかもそんな作家がいないことを知っているわけだけど。
今日の曲
People Are People/Depeche Mode
なんか今回の話にあいそうな曲だと思いました。
この名前のマンガ家をご存知だろうか。
今まで2冊の単行本を「一気堂書房」という
はっきりいって聞いたこともない出版社から出している。
そしてまた彼は恐ろしく寡作だ。
処女作「つぐみの庭」は1992年発行。
2作目の「アフターグロウ」は2001年の発行。
10年近い間が空いているのだ。
しかし作品の雰囲気はというと驚くほど変わらない。
彼の作品の特徴は静まり返った空間を感じさせる絵だ。
どんなに激しい暴力シーンが描かれていても、
それは水底で行われているかのように
登場人物たちの背後には広大ではあるが、
どこか淀んだ空間が広がっている。
そして描かれているのは一貫して、
人間の心である。
しかもどちらかといえば、人間の心の暗部。
彼の作品に出てくる登場人物には必ず、大きな欠如がある。
愛情や、周囲の人間に対する配慮、そして道徳心。
そういった心の動きに関わるものが何か大きく欠如している。
「つぐみの庭」に収録されている60ページほどの中篇、
「地軸」ではそれは愛情だった。
主人公は妻子を持つ、もうすぐ40になる男だ。
社会的な地位もある程度あり、
会社では将来を嘱望される身。
家庭も円満なように周囲からは見えているし、
実際本人達ですら問題に気付かないほど、
彼らは幸せに過ごしている。
しかしそれはあるひとつの小さな事件をきっかけに崩れる。
最初は、微妙な<ずれ>だが、
確実に今までの<幸せな丸い世界>の形を
いびつに変えていくのだ。
澤山はその微妙なずれの積み重ねを執拗に描いていく。
男は自分の心にそして感情の動きに違和感を感じる。
本当は誰に対しても、何に対しても
愛情を抱いていない自分に気付き、
そのギャップを埋めるための行動を開始する。
やがて違和感はふくらみ、
男は周囲をゆるやかな狂気で包み込んでいく。
狂気は別の狂気を喚起する。
狂気の連鎖がおこるのだ。
人間の心の暗闇にある共通項がそこから見えてくる。
そして最新作(といってももう4年前だが)の
「アフターグロウ」では主人公は11歳の男の子だ。
澤山が描く欠如はさらに進み、
今度の主人公の彼にはおおよそ人間らしい感情全てが
欠如しているように見える。
彼は新興住宅地に住んでいる。
普通の小学生としての暮らしが描かれている。
20ページほど、その様子が描かれているのだが
そこには「地軸」と同様、微妙なずれが仕込まれているのだ。
やがて、親、友人、教師を巻き込み、
彼を中心として物語は大きく動いていく。
今度の話では多くの人が死んでいくが、
その死は救われない死ばかりである。
<裏切り>というのがこの作品のキーワードと思われるが
そこには多種多様の裏切りが描かれている。
主人公の少年に強烈な不快感を抱きつつも
次はどうやってやるのか、
その次はどんな残酷な方法で、と読者に期待させる。
読み進めれば進めるほどに
その残酷な思考法に同化させられている。
不快と思っていた心の動きが自分の中にも在る、
そのことに気付かされるのだ。
そして物語は最悪な状況でふいに終わる。
澤山の描く物語には救いがない。
はっきり言って、読後感は最悪といってもいいほどだが、
なぜだか読み出すと止まらない魅力がある。
決して一般受けするとは思えないが、
私は次回作を待っている。
たとえ、それが10年後であろうと。
しかもそんな作家がいないことを知っているわけだけど。
今日の曲
People Are People/Depeche Mode
なんか今回の話にあいそうな曲だと思いました。