そういうわけで?昨日(1月15日)福井県立図書館にて催された、
本県あわら市旧金津町ご出身で、講談社「BELOVE」編集部にて末次先生ご担当の
富澤(旧姓坪田)絵美さんをお招きした、表題の講演会に参加してまいりました。


今年はじめてきたのですが、イベント告知看板がこんな仕様に。

昨年から置かれてた案内も当日バージョンです。

いつもはないボードに、「ちはやふる」原画が何点か飾られてました。

到着したのが13時より少し前だったのですが、この写真を撮って別件で
本の貸し出し手続きを済ませてから戻ると、もう既に列が形成されてしまっており慌てて並ぶことに。
前のグループの皆さんのお話が自然と漏れ聞こえてしまうのですが、
どうも富澤さんの親戚とか地元の旧知の方々?のようでらっしゃって、
ちょっとプライベートな事柄まで耳に入ってしまったり、
列がどんどん長くなる中並ぶ前に原画を写メに収めようとファンの方が続々来られてたり、
13時半の会場時刻には正面玄関を横切ってしまうかと思う長蛇の列になりました。
そして会場時には6割埋まっていた座席も続々埋まっていき、結局後ろの壁沿いに椅子を追加したりして
当初告知していた100人を上回る方々が集まられたようです。
講演の進行は、PCを立ち上げ作中のシーンの画像とか動画とかを交えながらのものでして、
最初は、富澤さんご本人の今日に至るまでの競技かるたとの関係と、ちはやふるが生まれるいきさつについての話でした。
「地元では小学校入学前からかるたに親しみ始め、渚会に入ったきっかけは4つ下の弟が小学生の大会で優勝し
栗原先生に誘われたことから。以降中学時代まで、当時福井市片町(※福井駅近辺の歓楽街です)にあった道場まで
車で送迎してもらって通った。」
「栗原先生の他山崎元クイーンにも、子どもだからといって手を抜かない、
かといって厳しすぎくもない指導、温かく見守ってくれたこと。」
「中学時代はかるた大会の合間を縫って試験勉強。お陰でここ一番の集中力が養われた。」
「高校に入って、小中と比べて学校でかるたにかかわる機会がないことから、
偶然同郷の(かるたを知ってる)子を誘って競技かるた部を立ち上げる。
あと1年後輩の賢いという噂のある子を勧誘したり(机君入部のエピソードの元ネタ)したりして
部の維持に努めたものの、受験生活→大学入学のしばらくの間ブランク。」
「偶然小学生時代の大会で面識のあった慶応かるた会の同級生からメールをもらい現役復帰。」
「エントリーシートに『競技かるたのマンガを実現したい』(と書かれたのが原点)→2002年講談社に入社。」
「入社後5年間は企画を暖めつつも説明できず、2007年5月に指導役の先輩から
末次先生担当を引き継ぐことになり、その最初の出会いのときに競技かるたをテーマにされないかと話を持ちかける」
「実は末次先生も福岡の高校時代かるた同好会に所属されて百人一首についての知識を持ってらっしゃった。」
「翌月には(現在所属していてしかも同じ福井県出身の)原田先生のモデルの方が代表の府中白妙会や暁星高校への
長期取材を始め、1月の名人位クイーン位戦とか7月の高校選手権とかは欠かさず取材に訪れている。」
ここで今年の名人位戦を取材された際に撮られたマスコミ向け試合シーンの動画を紹介したあと、
ちはやふる執筆と福井とに関わるエピソードなどを挙げられていきます。
「末次先生は、子どものような好奇心でとにかく現場に通いつめて、原田先生(のモデルの方)をはじめ
『かるた好き』な方々からあらゆるものを吸収して、作品に生かされているとても研究熱心な人。」
「資料として撮影した写真は数千枚。それを踏まえた観察眼とそこから生まれる動く場面、
特に筋肉とか手の描写を男女差をつけて描く画力の高さ。」
「試合を幾度もなく観戦されて『かるたが強い方は背筋強いですよね、乾電池みたいな背筋』などの発言。」
「編集の立場としてはストーリー形成については直接は関与せず、ネームをFAXしてもらい
末次先生の中で出来上がってるキャラたちがどう動くだろうかを、ざっくばらんに話し合いながら打ち合わせを進める。」
「こっちで気をつけていることは差別表現の有無とか、出版上抵触できない形式的問題やディティールを補うための資料の提供。」
「末次先生が最初福井に来られたのは、あわら市(旧金津・芦原両町)→坂井市三国町→越前市(旧武生市)→
福井市(森田の県かるた協会や駅前近辺)を丸1日かけて取材された。」
「福井駅に降りた際『故郷の福岡とよく似た雪が降りそうな重い空・空気』を感じられたとか。」
「新をはじめキャラのしゃべる福井弁が(地元人から見ても)ちゃんと表現されていることについて、
末次先生『福井の皆さんは人懐こくって、暖かくって、こんな暖かい言葉があるなんて知らなかった。
東京に戻りたくない』と語られたそうな。(※あと原田先生のモデルの方も時々福井弁で話されることも関係あるかも?)」
「2009年6月の全国かるた福井大会の前夜祭で、福井県かるた協会はじめ地元有志で
ホテル貸切みたいな形でマンガ大賞受賞記念の祝賀会を催し、末次先生もスケジュールを急遽空けて招かれて下さった。」
「以来『福井の皆さんに後押しされて、自分は前を向いて漫画を描き続けてこられる』と仰られたとか。」
「かなちゃん(大江奏)というキャラは、末次先生から見た百人一首かるたへの気持ち・目線の代弁者。」
「5巻で新が差し入れるお菓子がなぜ羽二重餅なのかというと、某豆煎餅でも
某冬の銘菓でもなく、ストーリー上夏に贈れるパッケージに
メッセージを書けるものが必要だったので、多くの候補から選択したとのこと。
さらにプリズム福井店のPOPとか編集部にこの羽二重餅をお送りして頂いたりと、
応援して頂いてありがたく思ってます」
「4巻十八首冒頭の『勝義書店』店頭のシーンはBELOVE掲載当初架空の別の雑誌だったのが、
URARA(※福井県限定のタウン誌)のものに代わっていて、URARAにはたびたび
書き下ろしのイラスト等提供するなど付き合いが長い。これからも随所に福井県ご当地ネタを
作品に取り入れていくつもりなので、注意して読んで欲しいです(笑)」
作中の福井にまつわる場面とか府中白妙会での練習光景の動画を交えての講演は、
時間の経つのを忘れる盛り上がりで進み、BELOVE編集部の写真を紹介するあたりで
そろそろ残り僅かになってきました。
「編集者は漫画家と異なり会社員なので、作品の浮き沈みに関係なく安定した立場。
『ちはやふる』のテーマの一つに『才能とは?』『天才とは?』ということもあるのですが、
末次先生いわく『それに叶わないからと努力することを諦めてしまうのではなく、
それで片付けられないところが答えの中に見出せるから、匍匐前進してでも前に進んで行きたい。』
と仰っていて、打ち合わせをする度取材の出張中の電車内とかで
終始漫画に対するハートの熱さを感じて、営業という形での側面支援も力が入る。」
「かといって取材中はいろんな且つ変なアングルで写真を取りまくっている人だけど、
ファンレターのお返しに暑中見舞いとか年賀状とかきちんと返されたり、
面と向かってもツンツンせず気さくに応対される、
まさに作中の千早の様な黒目の大きい美人な方なので、
これからもし競技かるたの大会で見かけることがあれば、
ぜひ声をかけてみて下さい。」
ということで予定の1時間になり、講演自体は終わりました。
せっかくの機会ということもあり、一応少しの間だけのつもりで質問タイムを設けられたのですが、
これが予定以上(予想通り?)の内容と時間がかかるものになりました。
Q:「ちはやふる」という企画を編集部に通すことになった決め手とは?
A:当時競技かるたを取り扱った作品はとても少なく、竹下けんじろう先生の「かるた」くらいで、
それも短期間の連載で終わったことから、先行の諸作品になかった新しい切り口から
競技かるたを扱う必要があった。そんな中同僚に競技かるたを説明する内に
「スポーツみたいだね」といわれたことから、上司に以前言われた
「売れる漫画にするには帯に読者の目を引くフレーズを」とのくだりから、
「競技かるたはスポーツだ」との動と静が入り混じる少女マンガにあまりない
熱い展開が描けることを、積極的にアピールしたからじゃないからだと思います。
それ以上に何より、そんな漫画を描けるのは末次先生だからこそ実現したのだと思います。
Q:「ちはやふる」の登場人物に、どれだけモデルとなった人(競技かるた関係者)がいるのでしょうか?
A:難しい質問です・・・。公式にこの方だと認められるのは原田先生のモデルが
府中白妙会の前田先生であることだけでして、他の色々な方にそういった事実を認めてしまうと、
登場人物のイメージに対して実際のモデルの方と混ざった先入観をもたれてしまい、
今後のストーリー展開に支障をきたしかねないので、それを避けるため明言は出来ません。
ただ競技かるたの業界人?の皆さんなら福井渚会や府中白妙会の方々を始め
「あのキャラはあの人がモデル!」と発見されることが多いかと思います。
Q:富澤さんが好きな「ちはやふる」のキャラは?
A:実は机くんです(笑)。実は講談社入社当初は「競技かるたマンガを作りたい」とか言いながら、
文芸誌の編集を志望していて、講談社のジンクスに「志望した部署にはまず配属されない」と
いうのがあるのですが、例に漏れず配属先は『BELOVE』だったわけで、漫画を色々読み込み
(半ばライトなファンレベルの知識から)熱中して勉強していくうちに好きになっていった、
という経験があって、机くんが強引に入部させられた経緯から(天才じゃあないが故に)
持ち前の努力で少しづつ成長していく姿と、
7巻の『やりたいことを思いっきりやるためには、やりたくないことも思いっきりやらないといけないんだ。』
という台詞をはじめ、心に響く言葉を紡ぎ出す彼に自分を重ね合わせるところもあり気になってしまいます。
最近は「机先生」って呼んでます(笑)。
Q:コミックス背表紙の「十一巻」の表記が数字の「11」になっているのは何故か?
A:実は発売後何件かそのことでお電話頂いたのですが(笑)、店頭での陳列の際
仮に背表紙が漢数字ですと、21巻・22巻・23巻・あたりの表記が漢数字だと似てしまい、
希望する巻を取り間違えてしまう可能性がでてくることを、販促の部署から指摘される。
一部でも多くコミックスを多くの読者にお届けしたいという観点から、一貫性を破ってしまうのは
やむ終えない処置なのです。ちなみにカバーデザイナーの方は最後まで反対されてたそうです。
Q:TVドラマ・映画化(そしてアニメ化)を初め映像化の話は出てるのでしょうか?
※ちなみにこの質問をされてた方はなんと富澤さんの同級生だそうで、お子さんが「ちはやふる」の影響で
競技かるたを始められたこととか、本題の前に思い出話で盛り上がってました。
A:実はコミックス1巻発売直後から色々と話は頂いていて、映画化だとか某大手芸能プロから「うちのこんな新人を使って
ドラマ化して欲しい」(※実際はプロダクション名が出たのですが伏せさせて頂きます)といった話は
たくさんあるのだそうですが、編集部の側から「ちはやふる」をメディア展開!みたいなアクションは一切出来ず、
講談社では「ライツ管理部」という部署が取り仕切って決定権を持っています。企業であるからして
企画が失敗に終わらないよう大切かつ慎重に検討してるということもあり、
現時点ではそういった予定は一切ありません。
Q:私は富澤さんの高校の後輩で、去年からかるた同好会を立ち上げて1・2年あわせて7人でやってます。
ですか先生方とか校内の理解が少なくて、練習場所がありません。何とかなりませんでしょうか?(会場爆笑)
A:(二人で細かい現在の状況を確認しあってから※富澤さんが卒業後15年近く経ってまして校舎も色々変わりました)
ニトリや無印良品でフローリングの上に敷ける畳を購入して一般教室の一角で練習とか、
何とか他の文化部と和室のバッティングがないよう調整するか、せめて相部屋利用も認めてもらうか、
・・・ただ静かなところでないと取れないという声があるかもしれないけど、ある程度うるさい環境で
日頃練習しておくと本番で役立つことが多いです。(富澤さんの面識がある)競技かるたに理解ある先生が
異動でいらっしゃらないようなので、今の顧問の方に一筆書いておきます(笑)。
他にも老若男女様々な方から札の憶え方などの質問もあり、
結局30分ほど余計に回って講演会は惜しまれつつお開きになりました。
終了と退場を促されてからも、富澤さんの周りには花束や贈り物をされる方(多分図書館の方)や、
前列を締めていた親戚?一同のみなさん、同級生やかるた会関係者、そして作者じゃないのに
サインを求める「ちはやふる」ファンと、多くの方々に囲まれさながら有名人の凱旋帰郷のようでした。
・・・というわけでいつにもましての長文ですけど、もし私の口述筆記に誤りを見つけられた方がいましたら、
是非ご連絡いただけるとありがたいです。最後までお読み下さってありがとうございました。
※今日付の福井新聞地方面に記事がありました。
※※(1月23日追記)さらに本日の福井新聞文化面にもレポが掲載されました。
本県あわら市旧金津町ご出身で、講談社「BELOVE」編集部にて末次先生ご担当の
富澤(旧姓坪田)絵美さんをお招きした、表題の講演会に参加してまいりました。


今年はじめてきたのですが、イベント告知看板がこんな仕様に。

昨年から置かれてた案内も当日バージョンです。

いつもはないボードに、「ちはやふる」原画が何点か飾られてました。

到着したのが13時より少し前だったのですが、この写真を撮って別件で
本の貸し出し手続きを済ませてから戻ると、もう既に列が形成されてしまっており慌てて並ぶことに。
前のグループの皆さんのお話が自然と漏れ聞こえてしまうのですが、
どうも富澤さんの親戚とか地元の旧知の方々?のようでらっしゃって、
ちょっとプライベートな事柄まで耳に入ってしまったり、
列がどんどん長くなる中並ぶ前に原画を写メに収めようとファンの方が続々来られてたり、
13時半の会場時刻には正面玄関を横切ってしまうかと思う長蛇の列になりました。
そして会場時には6割埋まっていた座席も続々埋まっていき、結局後ろの壁沿いに椅子を追加したりして
当初告知していた100人を上回る方々が集まられたようです。
講演の進行は、PCを立ち上げ作中のシーンの画像とか動画とかを交えながらのものでして、
最初は、富澤さんご本人の今日に至るまでの競技かるたとの関係と、ちはやふるが生まれるいきさつについての話でした。
「地元では小学校入学前からかるたに親しみ始め、渚会に入ったきっかけは4つ下の弟が小学生の大会で優勝し
栗原先生に誘われたことから。以降中学時代まで、当時福井市片町(※福井駅近辺の歓楽街です)にあった道場まで
車で送迎してもらって通った。」
「栗原先生の他山崎元クイーンにも、子どもだからといって手を抜かない、
かといって厳しすぎくもない指導、温かく見守ってくれたこと。」
「中学時代はかるた大会の合間を縫って試験勉強。お陰でここ一番の集中力が養われた。」
「高校に入って、小中と比べて学校でかるたにかかわる機会がないことから、
偶然同郷の(かるたを知ってる)子を誘って競技かるた部を立ち上げる。
あと1年後輩の賢いという噂のある子を勧誘したり(机君入部のエピソードの元ネタ)したりして
部の維持に努めたものの、受験生活→大学入学のしばらくの間ブランク。」
「偶然小学生時代の大会で面識のあった慶応かるた会の同級生からメールをもらい現役復帰。」
「エントリーシートに『競技かるたのマンガを実現したい』(と書かれたのが原点)→2002年講談社に入社。」
「入社後5年間は企画を暖めつつも説明できず、2007年5月に指導役の先輩から
末次先生担当を引き継ぐことになり、その最初の出会いのときに競技かるたをテーマにされないかと話を持ちかける」
「実は末次先生も福岡の高校時代かるた同好会に所属されて百人一首についての知識を持ってらっしゃった。」
「翌月には(現在所属していてしかも同じ福井県出身の)原田先生のモデルの方が代表の府中白妙会や暁星高校への
長期取材を始め、1月の名人位クイーン位戦とか7月の高校選手権とかは欠かさず取材に訪れている。」
ここで今年の名人位戦を取材された際に撮られたマスコミ向け試合シーンの動画を紹介したあと、
ちはやふる執筆と福井とに関わるエピソードなどを挙げられていきます。
「末次先生は、子どものような好奇心でとにかく現場に通いつめて、原田先生(のモデルの方)をはじめ
『かるた好き』な方々からあらゆるものを吸収して、作品に生かされているとても研究熱心な人。」
「資料として撮影した写真は数千枚。それを踏まえた観察眼とそこから生まれる動く場面、
特に筋肉とか手の描写を男女差をつけて描く画力の高さ。」
「試合を幾度もなく観戦されて『かるたが強い方は背筋強いですよね、乾電池みたいな背筋』などの発言。」
「編集の立場としてはストーリー形成については直接は関与せず、ネームをFAXしてもらい
末次先生の中で出来上がってるキャラたちがどう動くだろうかを、ざっくばらんに話し合いながら打ち合わせを進める。」
「こっちで気をつけていることは差別表現の有無とか、出版上抵触できない形式的問題やディティールを補うための資料の提供。」
「末次先生が最初福井に来られたのは、あわら市(旧金津・芦原両町)→坂井市三国町→越前市(旧武生市)→
福井市(森田の県かるた協会や駅前近辺)を丸1日かけて取材された。」
「福井駅に降りた際『故郷の福岡とよく似た雪が降りそうな重い空・空気』を感じられたとか。」
「新をはじめキャラのしゃべる福井弁が(地元人から見ても)ちゃんと表現されていることについて、
末次先生『福井の皆さんは人懐こくって、暖かくって、こんな暖かい言葉があるなんて知らなかった。
東京に戻りたくない』と語られたそうな。(※あと原田先生のモデルの方も時々福井弁で話されることも関係あるかも?)」
「2009年6月の全国かるた福井大会の前夜祭で、福井県かるた協会はじめ地元有志で
ホテル貸切みたいな形でマンガ大賞受賞記念の祝賀会を催し、末次先生もスケジュールを急遽空けて招かれて下さった。」
「以来『福井の皆さんに後押しされて、自分は前を向いて漫画を描き続けてこられる』と仰られたとか。」
「かなちゃん(大江奏)というキャラは、末次先生から見た百人一首かるたへの気持ち・目線の代弁者。」
「5巻で新が差し入れるお菓子がなぜ羽二重餅なのかというと、某豆煎餅でも
某冬の銘菓でもなく、ストーリー上夏に贈れるパッケージに
メッセージを書けるものが必要だったので、多くの候補から選択したとのこと。
さらにプリズム福井店のPOPとか編集部にこの羽二重餅をお送りして頂いたりと、
応援して頂いてありがたく思ってます」
「4巻十八首冒頭の『勝義書店』店頭のシーンはBELOVE掲載当初架空の別の雑誌だったのが、
URARA(※福井県限定のタウン誌)のものに代わっていて、URARAにはたびたび
書き下ろしのイラスト等提供するなど付き合いが長い。これからも随所に福井県ご当地ネタを
作品に取り入れていくつもりなので、注意して読んで欲しいです(笑)」
作中の福井にまつわる場面とか府中白妙会での練習光景の動画を交えての講演は、
時間の経つのを忘れる盛り上がりで進み、BELOVE編集部の写真を紹介するあたりで
そろそろ残り僅かになってきました。
「編集者は漫画家と異なり会社員なので、作品の浮き沈みに関係なく安定した立場。
『ちはやふる』のテーマの一つに『才能とは?』『天才とは?』ということもあるのですが、
末次先生いわく『それに叶わないからと努力することを諦めてしまうのではなく、
それで片付けられないところが答えの中に見出せるから、匍匐前進してでも前に進んで行きたい。』
と仰っていて、打ち合わせをする度取材の出張中の電車内とかで
終始漫画に対するハートの熱さを感じて、営業という形での側面支援も力が入る。」
「かといって取材中はいろんな且つ変なアングルで写真を取りまくっている人だけど、
ファンレターのお返しに暑中見舞いとか年賀状とかきちんと返されたり、
面と向かってもツンツンせず気さくに応対される、
まさに作中の千早の様な黒目の大きい美人な方なので、
これからもし競技かるたの大会で見かけることがあれば、
ぜひ声をかけてみて下さい。」
ということで予定の1時間になり、講演自体は終わりました。
せっかくの機会ということもあり、一応少しの間だけのつもりで質問タイムを設けられたのですが、
これが予定以上(予想通り?)の内容と時間がかかるものになりました。
Q:「ちはやふる」という企画を編集部に通すことになった決め手とは?
A:当時競技かるたを取り扱った作品はとても少なく、竹下けんじろう先生の「かるた」くらいで、
それも短期間の連載で終わったことから、先行の諸作品になかった新しい切り口から
競技かるたを扱う必要があった。そんな中同僚に競技かるたを説明する内に
「スポーツみたいだね」といわれたことから、上司に以前言われた
「売れる漫画にするには帯に読者の目を引くフレーズを」とのくだりから、
「競技かるたはスポーツだ」との動と静が入り混じる少女マンガにあまりない
熱い展開が描けることを、積極的にアピールしたからじゃないからだと思います。
それ以上に何より、そんな漫画を描けるのは末次先生だからこそ実現したのだと思います。
Q:「ちはやふる」の登場人物に、どれだけモデルとなった人(競技かるた関係者)がいるのでしょうか?
A:難しい質問です・・・。公式にこの方だと認められるのは原田先生のモデルが
府中白妙会の前田先生であることだけでして、他の色々な方にそういった事実を認めてしまうと、
登場人物のイメージに対して実際のモデルの方と混ざった先入観をもたれてしまい、
今後のストーリー展開に支障をきたしかねないので、それを避けるため明言は出来ません。
ただ競技かるたの業界人?の皆さんなら福井渚会や府中白妙会の方々を始め
「あのキャラはあの人がモデル!」と発見されることが多いかと思います。
Q:富澤さんが好きな「ちはやふる」のキャラは?
A:実は机くんです(笑)。実は講談社入社当初は「競技かるたマンガを作りたい」とか言いながら、
文芸誌の編集を志望していて、講談社のジンクスに「志望した部署にはまず配属されない」と
いうのがあるのですが、例に漏れず配属先は『BELOVE』だったわけで、漫画を色々読み込み
(半ばライトなファンレベルの知識から)熱中して勉強していくうちに好きになっていった、
という経験があって、机くんが強引に入部させられた経緯から(天才じゃあないが故に)
持ち前の努力で少しづつ成長していく姿と、
7巻の『やりたいことを思いっきりやるためには、やりたくないことも思いっきりやらないといけないんだ。』
という台詞をはじめ、心に響く言葉を紡ぎ出す彼に自分を重ね合わせるところもあり気になってしまいます。
最近は「机先生」って呼んでます(笑)。
Q:コミックス背表紙の「十一巻」の表記が数字の「11」になっているのは何故か?
A:実は発売後何件かそのことでお電話頂いたのですが(笑)、店頭での陳列の際
仮に背表紙が漢数字ですと、21巻・22巻・23巻・あたりの表記が漢数字だと似てしまい、
希望する巻を取り間違えてしまう可能性がでてくることを、販促の部署から指摘される。
一部でも多くコミックスを多くの読者にお届けしたいという観点から、一貫性を破ってしまうのは
やむ終えない処置なのです。ちなみにカバーデザイナーの方は最後まで反対されてたそうです。
Q:TVドラマ・映画化(そしてアニメ化)を初め映像化の話は出てるのでしょうか?
※ちなみにこの質問をされてた方はなんと富澤さんの同級生だそうで、お子さんが「ちはやふる」の影響で
競技かるたを始められたこととか、本題の前に思い出話で盛り上がってました。
A:実はコミックス1巻発売直後から色々と話は頂いていて、映画化だとか某大手芸能プロから「うちのこんな新人を使って
ドラマ化して欲しい」(※実際はプロダクション名が出たのですが伏せさせて頂きます)といった話は
たくさんあるのだそうですが、編集部の側から「ちはやふる」をメディア展開!みたいなアクションは一切出来ず、
講談社では「ライツ管理部」という部署が取り仕切って決定権を持っています。企業であるからして
企画が失敗に終わらないよう大切かつ慎重に検討してるということもあり、
現時点ではそういった予定は一切ありません。
Q:私は富澤さんの高校の後輩で、去年からかるた同好会を立ち上げて1・2年あわせて7人でやってます。
ですか先生方とか校内の理解が少なくて、練習場所がありません。何とかなりませんでしょうか?(会場爆笑)
A:(二人で細かい現在の状況を確認しあってから※富澤さんが卒業後15年近く経ってまして校舎も色々変わりました)
ニトリや無印良品でフローリングの上に敷ける畳を購入して一般教室の一角で練習とか、
何とか他の文化部と和室のバッティングがないよう調整するか、せめて相部屋利用も認めてもらうか、
・・・ただ静かなところでないと取れないという声があるかもしれないけど、ある程度うるさい環境で
日頃練習しておくと本番で役立つことが多いです。(富澤さんの面識がある)競技かるたに理解ある先生が
異動でいらっしゃらないようなので、今の顧問の方に一筆書いておきます(笑)。
他にも老若男女様々な方から札の憶え方などの質問もあり、
結局30分ほど余計に回って講演会は惜しまれつつお開きになりました。
終了と退場を促されてからも、富澤さんの周りには花束や贈り物をされる方(多分図書館の方)や、
前列を締めていた親戚?一同のみなさん、同級生やかるた会関係者、そして作者じゃないのに
サインを求める「ちはやふる」ファンと、多くの方々に囲まれさながら有名人の凱旋帰郷のようでした。
・・・というわけでいつにもましての長文ですけど、もし私の口述筆記に誤りを見つけられた方がいましたら、
是非ご連絡いただけるとありがたいです。最後までお読み下さってありがとうございました。
※今日付の福井新聞地方面に記事がありました。
※※(1月23日追記)さらに本日の福井新聞文化面にもレポが掲載されました。
私はちはやふるファンで福井市民ですがこのときは仕事で行けず。。
悔やんでいたのですが今はじめて詳細な内容を知ることができ嬉しいです(*^^*)
これからもちはやふるめっさ応援していこうと改めて心に誓いました!!!
自分ではまだ拙い所もある長文の記事を、
最後まで読んでいただきありがとうございます。
当日の臨場感を多少は感じ取って頂ければ幸いです。
自分も福井市民なのですが、
この講演後に企画が決まったアニメ化について、
福井でも視聴できればとおもってますし、
FBCにメールフォームでお願いしたり、
あわら市や近江神宮等舞台の実際の姿を取材したり、
ささやかですが自分なりに出来る応援を続けたいと思ってます。
ファン一人一人で出来るスタイルの応援を、
今後の展開にわくわくしながら
これからも続けていきましょう。
でもそのためには、すべての札を、覚えなければいけないのです。
でも私は20~30ぐらいしか覚えてないのです。
何か、覚えるこつとか知りませんか?
知っていたら教えてください。
あと、おへんじがおそくなりましてすみませんでした。
おたずねのけんですが、
なーさんが府中白妙会の方に、会に入るためのじょうけんとして
百首あらかじめおぼえてくるように言われた、という意味ととらえますと、
はじめての人向けの練習会とかがないということですよね。
自分も百首完全におぼえてはいないので、とてもお役に立てないのすけど、
熊本県の高校でかるた部を教えてらっしゃる方のHPを
ご紹介しますので、こちらでたずねていただければと思います。
http://www.karuta.org/
http://www.karuta.org/cgi/bbs_pro/board.cgi (掲示板です)
あと勉強とかほかのことにも言えるのですが、
いっしょにかるたを学ぶお友達とみつけられてやっていくことが、
一人でやるよりも早く進むかと思います。
なーさんにとって、かるたが千早みたいにだれにも負けないとくいなこと、
自分らしくいられることになるよう、願っています。がんばってください。
幼少から競技かるたに親しんでたものの、教科としては
古典より現在国語が得意だったそうな冨澤さんと、
百人一首に造詣が深かったものの、
復帰されて画力を生かす題材を探しあぐねてらっしゃった?末次先生を
過去の経歴を知ってか知らずか引き合わせたことで
運命的な隅然を引き起こした冨澤さんの前任者さん(今のBELOVEの編集長?)は、
陰の功労者だと個人的に思ってます。
ただ一昨年7月から、冨澤さんはご出産で休職中ということで
現在の担当さんに競技かるたのディティール考証や、
福井弁のチェックまでフォローしていただけないというのが、
ちょっとだけ残念です。
幸い競技かるた関係のアドバイスは暁星高(北央高のモデル)の顧問の先生、
福井弁の考証は福井県東京事務所の方にそれぞれ
確認してもらってるらしいとのことですが、
これも個人的な思いですけど、物語の結末までに
元のポストに復帰されて見届けて頂きたいと思います。
二ノ宮先生のケースは存じ上げませんでした。
それは意外ですよね。
でも末次先生との共通項って、社長令嬢?とかでしょうか?
またこういった機会に恵まれましたら、どんどんレポートしていきますので、
よろしかったらまたお立ち寄りくださいませ。