憩いの森

安らぎと憩いを求めて!

東日本大震災の2011年(平成23年)3月11日(金) 14時46分、その時何をしていたか?

2021-03-09 18:15:19 | ニュース
標記の大震災から10年が近づいてきた。テレビも特集番組を流しているのでそういえば、自分は10年前のあのとき何をしていたのか、手帳を引っぱり出して眺めてみた。

↓当時の新聞記事や津波発生、東京電力の計画停電など思い出す。





いやはや、10年前のあの日は実は当時勤務していた障害者関連の行政法人で浜松町まで出張する予定だったのが、急遽自分は行かなくてもよいことになっていたからである。わたしの女性上司は東京から帰宅できず実家にいったそうである。

それで当方は自宅でのんびりと過ごしていたが、地震発生時は洗面所に立っていて揺れが始まると収納棚からへやードライヤーや石鹸がバラバラと落ちてきて面食らった。

結構揺れが長く続いてこれは遠いところで大震災が起きたなと推測した。すぐに隣の部屋にいた妻の見てひとまず安心、自分の部屋の家具や機器は大丈夫、ただリビングの食器棚が安全のために備えていた3本の耐震ロックのバーが落ちてガラスの扉は開かずに内側の隙間にコップなどが引っかかっていたので妻と2人で無事割れずに処置できた。

地震直後は幸い停電はしなかったので有難い。しかし後日我が公団の団地はたしか何度も昼夜の計画停電に組み込まれたので夜明かり無しの闇夜の団地を経験した。千葉に来て初めての災難であった。

余震も翌日以降に何度も発生して電車も遅延した。安全のために夜はパジャマではなく普段着を着てすぐに玄関から逃げられるよう警戒したことが手帳に記載されていた。

でも東北地方は大被害が出ている中、地震から10日後に仲良しおじさんの仲間で定例バイキング会食をしっかりやっていた! 車のガソリンを幸い地震の直前に給油してあったのでその後の給油待ちの行列に巻き込まれずに済んだのも幸いだった。

また、母の入所していた老人ホームが地震の影響で水漏れ発生のため一時別の場所に避難というおまけもあったが、けが人は出なかったようである。室内も本棚が少し水に浸かったので清掃した。

あれから10年、今はもう自分は現役引退で地震がきてもたぶん自宅にいる確率は高い。そしてこの10年の間に団地の修繕も含めて地震により強い現況に変わっているのは心強い。

しかし未だに震災被害者は、不便な生活を強いられている報道も見るので平和に過ごしている自分は恵まれていたと神に感謝している。(^^;


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2 コメント

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早いもので・・・ (Lab通信)
2021-03-10 09:45:45
あれから10年ですか?早いものですね・・・
憩いの森さんはご自宅で遭われたとのこと、幸い大きな被害もなく
ラッキーでしたね!

最近、You-tubeであの津波の映像をよく観るのですが
あらためて天災のすごさ、そして怖さを感じています。

あの日は仕事でした。揺れの大きさに異常を感じ、すぐさま外に出ました。
周辺の会社や工場の人たちも道路に出てきました。

目の前で工場の外壁が剥がれました。揺れが長くつづき大きな揺れが二回ありました。
ひとまず揺れが治まって事務所に入ったら、パソコンや書類などが床に散乱していました。
工場では天井からサビのようなものがパラパラと落ち、
配管などが破損して水浸しになっていました。

その情景は10年を経ったいまでも鮮明にのこっています。

また帰宅がたいへんでした。渋滞でほとんど動かなくなったときは
車で寝るしかないかな?と思いました。でもガソリンは少なくなるし、寒いし・・・
ましてや、だれとも連絡がとれない。不安でいっぱいでした。
それでも、裏道裏道を選びながらなんとか帰宅することが出来ました。
5時半に会社を出て、帰宅できたのが10時半。
あとで知りましたが、東京からの帰宅者を考えればラッキーだったんですね

翌日からはガソリンで苦労しました。
ガソリンがなければ通勤できない・・・幸い車が二台あったので
ヒマな女房に頼み長時間並んでもらい交互に給油してもらいました。
近くのスタンドの情報に注視し、いち早く並ぶのですが、
これはこれでたいへんだったとおもいます。

その後の原発の被害は10年経っても変わらない・・・つらいですね。
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やはり大変だったようで・・・ (憩いの森)
2021-03-10 17:16:53
コメントをありがとうございました。>Lab通信さん

いやはや、いずこも混乱状態だったようですね。

>目の前で工場の外壁が剥がれました。・・・パソコンや書類などが床に散乱・・・配管などが破損・・・


結構被害があったのですね。うちの近くでも車の給油行列はひどかったようです。

10年前よりガソリンスタンドが激減している今は、地震になったら何はともあれまず給油に駆け付けないといけないと記憶しておきたいですね。

以前シルバー人材センターに勤めていたとき友人が秋葉原から幕張付近まで徒歩で夜通し歩いて帰宅したとブログで語っていました。

わたしの妹も地震当日の夜は池袋の近くから千葉へ帰宅するのをあきらめて会社のビルに寝泊まりしたと聞いています。

皆さんいろいろな人生があったのですが、明日はあれから10年、貴重な教訓を忘れずに生きたいと思います。
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