憩いの森

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「千葉市の昭和」懐かしい写真集

2019-08-14 11:27:15 | 地理・歴史・社会
皆さんこんにちは。

高校野球も気になりますが、Lab通信さんからお借りした写真集が今になって非常に懐かしいのでお礼がてらここに投稿させていただきました。




標記の写真集を初めてお借りしたのは、たしかもう8年も前のことになります。当時は一部のページの本を直接写真撮影して電子データにして保存して楽しませていただきました。

しかし、今回はこの8年間にシルバー人材センターや街の不動産屋に勤務した経験で、本千葉や新千葉を含む千葉市内のJRと京成電鉄の駅、そしてモノレールの駅、千葉市役所と各区役所、千葉県庁、裁判所、高速道路等、各所を回ることができ、今にしてこの写真集に掲載されている風景の子細がよくわかるようになりました。

千葉市に住んでもう既に46年の歳月が流れました。以前の東京船橋市川の勤務時代と違って千葉市で勤務するようになったのはまだここ10年ほどです。

しかし、今となってはこの写真集に見覚えのある場所の懐かしい写真が多いことがわかりました。それでこの記事で感想をいずれ追加更新しようと思います。

とりあえずはLab通信さんに高価な写真集をお借りできたお礼です。どうもありがとうございました。大切な本なので直接お返しに上がります。


↓通勤でお世話になった国鉄総武線新検見川駅、昭和26年に開業した。京成検見川駅が既に存在していたので国鉄の駅は新検見川と名付けられた。この旧駅は複々線化される前の駅で土手に桜が咲きメッセ周辺の高層ビルがまだ建つ前で木造の渡り廊下から幕張の浜辺が見えていた。当方は公団賃貸住宅よりバス~国鉄で約2時間かけて建設会社に通っていた。(昭和40年代)




↓銀座通りの七夕飾り、30年代当時は人通りも多かったようだ。(昭和32年)



↓親友たちと食事会をする三井ガーデンホテルは元千葉銀行本店で、その前に旧京成千葉駅があったが、昭和33年2月9日を最後に国鉄本千葉駅跡に移転した。狭い駅には木炭バスを含めて路線バスがひしめいた。(昭和25年)


↓移転した京成千葉駅の跡地に中央公園が作られた。現在の暑い広場ではなく当初はこのように中央は噴水で涼しげな風情だった。(昭和40年)



↓国鉄千葉駅の移転大改造の様子、東京から来た電車が本千葉方面に行くのにスイッチバックしなくても済むよう、千葉駅を総武本線と内房外房へ分ける三又の分岐場所に移転させた。右上に写っている扇型の蒸気機関車の機関庫は撤去された。新駅での北口と西口に通じる回廊が先に完成している。移転後の国鉄千葉駅の完成は東京オリンピック開催の前年の昭和38年4月28日である。このとき当方は三重県の高校を卒業して東京杉並区に転入したばかりの年だった。(昭和35年)



↓旧陸軍鉄道連隊の設営訓練の場であった広い跡地に造られた千葉公園は、千葉市で初めてボートの乗れる池が作られた。写真では高台に当時展望台があったことがわかる。まだ植樹された木々が小さい。現在は夏場に大賀ハスを見物する観光客で賑わう。



↓公園設営当初はあった千葉公園の展望台、いつ解体されたのか不明! ネットで見つけたものだがその投稿者も展望台が無くなった年は不明とのこと。