おはなし おじさん の徒然日記

2015年7月からブログタイトルを「失業おじさんの徒然日記」から変更しました。日々の出来事、妻の花の写真を記録します。

内科医、外科医、精神科医

2005-03-30 | こんな本読みました
入院中の母の付き添いの日が続いている。母の寝ている時間が長いので、本を読んでいる。
きょう読んだ本は、野村総一郎著「精神科にできること」。この本は、ホームヘルパーの職業訓練を受けていたときに、講師の一人が紹介してくれたもの。
この本での収穫は2つ。

1.《統合失調症の治療薬は脳内のドパミンの働きにブレーキを掛ける作用を持つ。このことから、「幻覚・妄想とはドパミンの働きすぎによって生じる」ということが暗示される。》
母はパーキンソン病。パーキンソン病はドパミンの働きが鈍くなる病気だ。そのため、ドパミンを補充する薬を服薬している。その結果、ドパミン過剰になって、幻覚や、妄想が生じているのかもしれない。

2.30年位前のジョーク
  「内科医は何でも知っているが、何も出来ない。
   外科医は何も知らないが、何でもやろうとする。
   精神科医は何も知らないし、何も出来ない。 」

初仕事

2005-03-24 | その他
今日は、障害者外出支援の登録ヘルパーの初仕事だった。
福祉・介護の世界での、私の初仕事である。
利用者は、左手以外の全身麻痺の30才台の男性障害者。
今日のメニューは映画を見た後、食事して、その後、利用者が毎日通っている作業施設に送り届けるといった内容。
ヘルパーは先輩ヘルパーと私の2人対応。
先輩ヘルパーは手馴れたもので、利用者を持ち上げたりするのもさして力を入れていないようだが、さすがたいしたものである。
そして驚いたのは、映画代金も、食事代金も私たちヘルパーの分も利用者が負担したことだ。
映画代金はしょうがないにしても、食事代まで利用者が負担するのはちょっと申し訳ない気がした。
言い方は悪いけど「障害者にたかっている」様な気がして、申し訳ない気持ちだった。
今日の利用者へのヘルパー1人対応は困難なことは確かなのだけれど・・・・。
ちょっと、割り切れない気がする。



隣のベッドの方が・・・・

2005-03-22 | その他
今日、いつものように午後のお散歩と、TVの相撲中継をみて、病室に戻ると。病室が異様な感じ。
隣のベッドの方の容態が急変し、危篤状態となっていた。
さすがの母も息を凝らし、じっとしている。カーテン1枚を隔てたところで、生死をさまよう人がいる。病院のスタッフの対応の物音、医療器械のアラーム音、家族の方の呼びかけ、それらを聞いている母に、変な影響が出て、迷惑を掛けてはと心配で、しばらく母のベッドサイドに座り、母の手を握っていた。
瞬く間に悪化し、亡くなってしまった。
図らずも、本物の死(他人の)に間近かに接してしまった。
お亡くなりになるまで、じっと緊張して、息を潜めていた母は、疲れが出たのか、しばらくして寝てしまった。

今夜も変な行動をしやしないか心配しつつも帰宅した次第。

今日のお言葉

2005-03-21 | その他
母は2~3日前から病室の中を徘徊するようになり、病室のほかの患者さんを夜中に起こしたりしているらしく、そのため、今日、病室が変わり、ナースステーションの隣の集中治療室へと移動した。
夜、熟睡するようにと、午後は病院の長い廊下を歩いてもらっている。
病室から、廊下に出た所で、一言。

「この廊下かは、広くて、病院のようじゃん」

そうそう、そう通りです。
恐れ入りました。

自閉症の子供ってすごい

2005-03-19 | その他
今日、障害者ヘルパーの見学に行った。
その事業所にいた、小学校5年生のN君のこと。
このN君はバスにこだわりを持っていて、バスの経路番号を「○○番は?」と聞くと、「○○経由○○行き」と答え、間違いがない。

映画「レイン・マン」の中で、ダスティン・ホフマン演ずる自閉症の人物が、床に散らばった、マッチの軸の数を瞬時に言い当てたり、ラスベガスのカジノで、テーブルに出ているトランプの種類を全て記憶したりというエピソードがあったが、それを目の前にしている気分になった。

ヘルパー講座の講師が実体験として教えてくれた例で、自分の身の回りの人の生年月日を全て覚えていていて、該当者の誕生日の朝5時に「おめでとう」と電話をするとのこと。

人間の脳ってすごい力を持っていると感心した次第である。

母の一言

2005-03-19 | その他
入院中の母の食事介助が続いている。
今日の夕食介助のこと。
母の向側のベッドに94歳になるという老人(女性)が入院し、看護士さんに食事介助を受けていた。この方は高齢なこともあり、難聴が著しく、声高に会話しながらの食事だったが、それを見ていた母が私に向かって一言。


「あそこでお世話になっているのは、あなたのお母さんじゃないの?」

久しぶりの農作業

2005-03-16 | その他
今日は、病院で朝、昼食の食事介護のため病院へ行った後、ぶどう(甲斐路)の枝を砕いた。
私の職業訓練への通学や母の入院等で、久しぶりの農作業となった。
ぶどうの枝を砕く、細かにカットする、この作業のための機械があって、この機械の入り口に枝を入れると、2~3センチ長ほどに細かくカットされ、吐き出される。
有機質を畑に還元するわけだ。
今日は暖かかったこともあり、久しぶりにいい汗をかいた。
今年の農作業は少し遅れ気味である。
早く、母も退院し、農作業に精出す日々を迎えたいものだ。

卒業式

2005-03-15 | その他
今日は3ヶ月の職業訓練の介護福祉コースの卒業式だった。
長いようだったが、短かった。
講師の先生たちの授業や生き方、オムツ着用&使用体験、実習先の利用者や働いている人たち。
それにもまして、19歳から50半ばに至る幅広い学友の経歴などをお聞きし、本当に勉強になった。
私は、教室を最後に出た。



ここに明日からはもう来ない。

みんなと一堂に会することもない。

明日からはみなそれぞれの道を歩む。

30人の人生がこの場で重なり合って、

そして、明日からは皆背を向けて歩み去る。



そんな風に考えたら、去りがたかった。
そして、ちょっと悲しくなり、ウルウルしてきた。
明日から私は母の病院通いが日課となる。
今日も夕飯介助をしてきた。
食後もしばらく落ち着いていたが、布団をいじりだし、そのうち身体をもじもじさせだし、起き上がろうとする。
「どうしたの?」と聞くと、「家にかえるだ。」とのこと。
ここは病院でここで寝ていいと説得を試みるが「うるさいねー」と険悪になってきた。
妥協して話をあわせていたら、落ち着き寝てしまった。
病状が回復するにつれて、痴呆(認知症)状態も顕著になってきた気がする。
今夜あたり、病院内を徘徊しそうな気がして気がかりだ。

実技テスト

2005-03-14 | その他
今日は12月から通っていた、職業訓練のホームヘルパー講座の実技テストがあった。
課題は5つあった。
 ①車椅子への移乗 
 ②浴衣からパジャマへの着せ替え
 ③オムツ交換
 ④ポータブルトイレ介助
 ⑤シーツ交換
こう書いてしまうと簡単そうだが、どれも難しかった。
私の課題は、「③オムツ交換」!2週間ほど前に課題が発表になって、練習していたのだが、この課題が1番苦手だった。
ツキのない私は、これがあたるかも・・・と思っていたら、案の定これがあたってしまった。

尿取りパットのセットのときに、きちんとセットしようとグッと引っ張ったら・・・
あらら、尿取りパットの端が千切れてしまった。
でも、「ごめんなさい」と誤って、続行。
ベッドの柵をセットし、「あー、ほぼ終了。」と思ったとたん。
「では、今日はこれで失礼します。」と終わりのご挨拶を口走ってしまった。



でも、すぐに気付き、何とか終了。
試験官が大目に見てくれたこともあり、何とか合格することが出来た。
これで、無事にあすの卒業式が迎えることが出来そうだ。

施設実習

2005-03-11 | その他
今週は施設実習だった。
3日間がデイサービス、2日間が特養での実習だった。
デイサービスでのお見送りのとき、利用者の方が遠くになっても手を振り続けてくれてとてもうれしかった。
特養では、利用者との話で、その人の歩んできた人生の苦労話や、子供さんと利用者の関係などをお聞きしているうちに、涙を催してしまった。
一緒に実習に入った男性は、話をしているうちに号泣してしまい、部屋の隅に行ってしばらく泣いていた。後で聞いたところによると、利用者と自分の母親とダブってしまい。こらえきれなくなったとのこと。この男性は、母一人、子一人で、会社を辞め、10年間お母さんの介護をした経歴があったとのことなので、身につまされるものがあったのだろう。
私も施設実習は、介護技術よりも利用者の方々との会話がいい経験になった気がする。