味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

詩・書は道を載する文にして、

2018-01-13 10:09:41 | ブログ
第3301号 30.01.13(土)

詩・書は道を載(の)する文にして、春秋は聖人の用なり。詩・書は薬方の如く、春秋は薬を用ひて病を治むるが如し。聖人の用は、全く此の書に在り。謂ふ所の之を行事に載することの深切著明なるに如かざる者なり。重畳(ちょうでふ)して言ふ者有り、征伐明會(せいばつめいかい)の類(るい)の如し。蓋し書を成さんと欲せば、勢須(いきおいすべか)らく此の如くなるべし。事事各異義(じじおのおのいぎ)を求む可からず。但し一字に異なる有り、或は上下の文異ならば、則ち義は須らく別なるべし。『近思録』219 

 詩経と書経とは、道を載せた書物であり、春秋は聖人の実際方面のものである。詩経と書経とは、薬の処方のようなものであり、春秋は薬を用いて治療するのに似ている。聖人の実際はすべてこの書物のうちにある。いわゆる「実際のことがらに載せたほうが確かではっきりする。」ものである。春秋の文章には再度にわたって説く箇所がある。征伐とか盟会の類がそれである。というのは、書物を作ろうとすれば、勢いそうなるであろう。読者は一事一事について異なった解釈を求めてはならない。但し、同じ文字について用い方の違いがあったり、上下の文章が違っている場合は、意味に差別があるはずだ。220

 【コメント】ここの解釈も大変高度であり、すぐには理解出来ない部分もあるようです。それでも読み続け書き写し続け理解できるようになりたいものです。くだらないギャンブルにうつつを抜かすより、より賢明ではなかろうかと思います。

 分からなくても分かるようになるためにと日々に挑めば呆けはこないと思います。そして真剣に学び続けることが、健康と長生きにつながものと確信しています。

 漢籍は二千年の長きにわたって人々に読み継がれているのです。先の大戦で敗北し、二度と戦争をしてはならないとのことでヨシとしてきた総てを放棄したことは大変残念なことです。でも善い事は取戻さなくてはならないと思います。

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『不動心』(第163回)

 運命の絵模様に織りこまれて

 運命の絵模様に織りこまれて、あなたのもとへと送られたもののみ愛しなさい。いったい他の何がもっとあなたにあさわしいというのか。頁143

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「日本の婦道」----第18回

 武士が恋を賤しんだというのは全くの嘘である。賤しんだのは恋それ自身では無くて、道ならぬ恋である真の価値なきものに対する恋である。愛する娘のひそかに恋していた男が、父もかねて天晴武士と畏敬していた人物である時、件の父は膝を叩いて流石娘出来し居ったと感嘆する。そして娘の恋が親の恋と為るであろう。その心意気嬉しいではないか。それを思へば銅臭紛々たる俗悪成功者や、「軽薄」に目鼻をつけた様なハイカラ紳士に喜んで身を許す今の多数淑女のあさましさには寧ろ苦笑を禁ずることが出来ない。
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『言志録一』15

 修辭と立誠

 辞(ことば)を修めて其の誠を立て、誠を立てて其の辞を修む。其の理一なり。
 
 〔訳文〕経書などの言葉の意味をよく修得して、誠の道を立てること、つまり精神修養に努めることと、誠の道を立てるために言葉を修得することとは、いずれも道理は同じである。

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