味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

詩に云く、其の徳音を莫にして、

2018-09-14 10:27:16 | ブログ
第3538号 30.09.14(金)

詩に云く、其の徳音を莫(しづか)にして、其の徳克く明らかに、克く明らかに克く類あり、克く長たり克く君たり、此の大邦に王として、克く順(したが)ひ克く俾(したし)む。文王に俾(いた)りて、其の徳悔ゆること靡(な)し。『礼記』589

 詩経に、『その王季の徳音は静かで澄みとおり、それによって聖人の徳が明らかに示され、広く人びとにゆきわたり、人の長となり、君となり、大国に王となって、人びとがこれに従い、これに親しみ、文王に至って徳が極まり、何の悔ゆる所もなく、やがて天福を受けて子孫に及んだ』とあるのがその徳音のことでございます。

 【コメント】「聖人の心の豊かさが広く人びとにゆきわたり」、これが人々の日々に浸透し生きているこの世が素晴らしいものになって欲しいものです。

 人間誰にでも言えることですが、禍福は交互に訪れて参ります。ですから、絶頂期だからと思い込んで思い上がってはなりません。

 人間、経験して初めてわかるのですから、親は子へ、年長者は年少者へ教え諭すことが大事だろうと思います。
 今テレビでは、元モーニング娘の女の子が、飲酒してひき逃げをした事件が話題になっています。

 これらは厳しく厳しく捜査して欲しいものです。若い女の子が、歌って踊って、御酒を飲んで、世の中が自分を中心に廻っていると思い上っているのだとしたらとんでもない思い上がりです。

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『善の研究』第21回

 故に若し前にいったように知覚の如き者のみでなく、関係の意識をも経験と名づくることができるならば、純理的判断の本にも純粋経験の事実があるということができるのである。また推論の結果として生ずる判断について見ても、ロックが論証的知識においても一歩一歩に直覚的証明がなければならないといったように連鎖となる各判断の本にはいつも純粋経験の事実がなければならぬ。種々の方面の判断を綜合して断案を下す場合においても、たとい全体を統一する事実的直覚はないにしても、凡ての関係を綜合統一する論理的直覚が働いている。たとえば種々の観察より推して地球が動いていなければならぬというのも、つまり一種の直覚に基づける論理法に由りて判断するのである。

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