味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

誠は自ら成るなり。

2019-03-24 15:59:41 | ブログ
第3720号 31.03.25(月)

誠は自ら成るなり。而して道は自ら道(よ)るなり。誠は物の終始なり。誠ならざれば物無し。是の故に君子は之を誠にするを貴しと為す。『中庸』287

 誠であることは、それは人間の本性そのものの働きであるから、人間が各自に人間として自ら完成することである。そして人間として完成するところに人間の道が自然に成り立って行くのである。
 自己ばかりでなく、誠であることは、すべての物がそれぞれの真の展開を遂げることである。もしも誠でなかったなら、その物は独自の価値ある存在ではないことになる。それだから君子は己を誠にして尊厳にすることが最も大切であると考えているのである。


 【コメント】人間で大事なことは己を誠にすることであります。何時も書いていることですが、『南洲翁遺訓』、漢籍の数々を日々に繙き、誠を基調とした人間の世界でありたいと思っています。これほど有難いことはありません。その人格美を秘めた人々が荘内南洲会の先生方であります。

 ですから私は空手道教室で子供たちを『南洲翁遺訓』の精神に背かない人間として成長すべく、導いているつもりです。昨日は、子供が真面目に稽古に集中しないので、高齢爺いの私は怒ってしまいました。厳しく指導し、人生に挑んで欲しいのです。
 悪口を言われようが、殴られようが、絶対に生き抜く精神力を培い、『南洲翁遺訓』の精神を構築して欲しいと念じています。私の人生は、『南洲翁遺訓』と共にあります。

 かく申す私は真面目に真面目に働いてきました。私が実践してきた働く姿を見せたら、指宿の大師範以外は顔を背けて逃げ出すと思います。
 枕崎と坊津町の境にあるへの深夜の電報配達、今思うとゾッとします。人が通った道が見えない山中を自転車で深夜に進んで行くのです。怖いしか、この仕事をしたくないという逃げの気持ちは全くありませんでした。

 昼は電電公社の職員として働き、夜は父親の名義で電報配達をさせていただいたのでした。私はやり出したら止めない性格なのです。
 昨夜の本部空手道教室では、終盤にキックミットを持ち、子供たちに蹴って貰いました。ミットがなくて直接身体に蹴りを受けたら、アバラ骨は砕けるであろうと思いました。その中に山田幹哉師範の御令息・護久さん、長女の奈々様もお見えになり、みんなを激励し、型を見せてくださいました。素晴らしく成長したみなさんと格闘技の御稽古ができるということは、人生名利につきるものでした。

 最後の最後に同年の前田師範も見えましたので、いきなり型を演武して貰いました。人前で演武するのは久しぶりとのことでした。いきなりは失礼であったかも知れませんが、無礼を承知の上でお願い致しました。

 とにかく『南洲翁遺訓』を拝誦する文武両道の武道場として、天に恥じない道場でありたいと念じて80歳の老体に鞭打っています。

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『善の研究』第174回

 この理とは万物の統一力であって兼ねてまた意識内面の統一力である、理は物や心に由って所持せられるのではなく、理が物心を成立せしむるのである。

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