タイトル---公平至誠を以てせよ。第1582号 25.04.25(木)
人を籠絡して陰に事を謀る者は、好し其の事を成し得るとも、慧眼より之れを見れば醜状著しきぞ。人に推すに公平至誠を以てせよ。公平ならざれば英雄の心は決して攬られぬもの也。『南洲翁遺訓』第三十五章。
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人を言葉巧みに丸め込んでき謀りごとを巡らす者は、たとえその事が成功した場合でも、すぐれた識見を持つ具眼者から見れば、見苦しいことは明白である。人に対しては公平至誠を以て接することが大事である。公平でなければすぐれた人物の心をつかむことは出来ないものである。(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)
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今で何千回口にした言葉でしょう。このお蔭でどれほど救われたか分かりません。人間ややもすると人との対応に際して私心が見え隠れするものです。そういう時、『南洲翁遺訓』や多くの漢籍の言葉が役立つのです。
二十数年前、鹿児島大学に通っている青年が、『南洲翁遺訓』の訳文に対して、人よりか自分が大事なのに、先ず人を大事にせよと、そういうことがあるものか、とブツブツ言って帰って行きました。
その後、当該青年が真の意味を知らないままだと、会社でも人様からの信頼は対して得られていないでしょう。ということは大した成長がないことと併せ、不幸が到来するということです。
特に身に病が来た時も、天風師は自分の過去の過ちを反省しなさいと説いています。これまさしく正論なりと断言致します。
自己をいろいろ弁護した処で、病が来てしまってからでは遅いのです。だから謙虚に反省すべきは反省をすることが賢明でもあるし、潔いのてす。そうすることによって速やかに治癒されると思います。
昨日のブログにも書きましたが、毎朝ゴミステーションに行って帰り際、天と話すことにしています。私の道場には不幸な生育過程の子どもたちがやってきます。子どもを産んだ母親は自分が産んだということで、自分を責めている部分があるようです。子どもは父親母親の協働で生まれてくる訳ですが、その外にもいろいろ理由はあると識者は書いています。
要は現在の事象から、善くなることが大事です。
今朝の学問館で376回でした。青年師範の漢籍を読む技術、見違えるうになりました。『史記』『中庸』『南洲翁遺訓』を学修しました。中庸を購入したのが二十数年前で数回拝読してきましたが、最近は読んだ箇所を短歌にして記録するようになり、凝縮して鮮明に記憶されるようになりました。
このブログをご覧になられた方、是非短歌にして記録することをなさっては如何ですか。上手に越したことはありませんが、要は記憶し、それが生きる原動力になればいいのではと思います。
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不登校登校無理だと見限って
子の悪責めるなまず親身正せ 翫習 不動智神妙録
のぼせては見せる能技に酔いしれる
勘の違いよ先に義があり 翫習 前掲書
宗教において一ばん大切な
ことはすなわち「生きる」ということ 華麗 幻の講話
あの世への旅立ちをするその日まで
己の任務をたくさん達成 華麗 前掲書
その心清明にして粛しみて
事に応ずる身修む所以 3940 『中庸』
讒言を去りて女色を遠ざけて
有徳の人賢者となりぬ 3941 『中庸』
人民は国の本なり使役すも
租税小さく衣食足らせよ 3942 『中庸』