味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

少壮の時に当たりては、須らく衰老の辛酸を念うべし。

2014-10-18 11:16:04 | ブログ
タイトル---少壮の時に当たりては、 第2121号 26.10.18(土)
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少壮の時に当たりては、須らく衰老の辛酸を念うべし。『菜根譚』
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若く元気なときに、やがてはくる老衰の時の苦痛を考えて老後の計画をなすべきである。
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【コメント】 幾ら優秀だからといって走りすぎると洞穴に落ちてしまう、と聞いたことがあります。前後左右を見て進みましょう。
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『臥牛先生遺教抄』(第59回)
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五十九、かつて自負心の強き者は学びても終に徳をなさぬものとご教訓を蒙り、退きて熟考するに実に吾が非を悟りぬと申し上げしに、その通りなり。顔子を見れば直ぐに知り得られん。
「我回と言う終日違わざること愚なるが如し」とあるに非ずや。篤学者は終身かくの如く一貫するものなり。然るに自ら少し行い得らるるとか、又は人に信ぜらるるとか思えば、忽ち自負心生ずるは、是れ志の卑き者にある事にて、志の高尚なる人には決してなき事なり。
 この所よくよく分別すべし。船田一琴は鏨工の名人なれども、常にその技の拙なるを嘆き聊かも自慢の心なく、孜々として後藤佑乗を仰慕せしものの如し。或る時酒を飲み、私は至極の下手なれども今の細工人に比すれば、予こそ団十郎ならめと漏らしたる事あり。
 その志の高尚なる知るべきなり。他日一琴と藤原清人(刀匠)とを招きし時、清人自ら鍛えたる刀を出して頻りに自讃せり。一琴、清人の顔を熟視しつつお前は最早やおしまいなりと申せしにぞ。清人大いに之を恥じ、憤発して終に良工とはなりきと。

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『論語』五九
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五十九、定公問ふ。「君、臣を使ひ、臣、君に事ふること、之をいかん。」孔子対えて曰はく、「君、臣を使ふに礼を以てし、臣、君に事ふるに忠を以てす。」
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定公「君が臣を使い、臣が君に事(つか)えるにはいかなる道によるべきものであろうか。」孔子「君は礼を以て臣を使い、臣は忠を以て君に事うべきものであります。」
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この項は君臣の道を諭しているものです。定公は魯の君で名を宋という。昭公の弟である。上の者は下の者に対して敬意を欠き易く、下の者は上の者に対して誠意を欠き易いものである。
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 このくだりは今日も十分通用することであります。今朝の学問館で子供たちに、名前を呼ばれたら「拝・ハイ」といいましょう、と説明しました。
 拝は、有り難うという意味であり、拝むということです、と。他人様と有ったら一言、お元気ですね、と言えばお互い心が和むのですと。そうしたら争いごともなくなるのですと。
 三歳の正田佳那子ちゃんが「ハイ」といいました。

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短歌の紹介
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我れ人に美し言葉与ゆれば
  人も美し言葉返すに 6948 博庵語録
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