味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

言を知らずんば人を知る無きなり。

2017-05-08 10:50:42 | ブログ
第3051号 29.05.08(月)

命を知らずんば以て君子たるたる無きなり。礼を知らずんば以て立つ無きなり。言を知らずんば以て人を知る無きなり。〔堯曰第二十〕 
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 孔子が言うには、「君子の身を修め世に処する道は、「知命」「知禮」「知言」の三重点に存する。天命を知って人事を盡し、如何なる逆境に在っても天を怨みず人を咎めず、信じ且安んじて道を楽しみ得なくては、君子としての真価が保てぬぞ。禮を知らないと、進退度を失い品格備わらず、君子としての立場が守れぬぞ。言を知らないと、善悪正邪を瓣ぜず、義理人情に通ぜず、よく人を知るの君子たり得ぬぞ。」

 【コメント】『論語』を手にして読めば読むほど素晴らしいと思っています。ここの解説を『論語の活学』では次のように述べています。引いてます。

 <自然と人間を一貫する絶対性「天命」を知らないと、本当の人間にはなれない。自然も人間も円満な自律・諧話・奉公すなわち「礼」に存立しているのですから、それを知らなければ人間として本当に存立することはできない。また「言」を知らなければ、すなわち学問・思想・言論が分からなければ、人間というものを知ることができない。
「言」は今日で言うと、いわゆる「思想・言論」でありました、その思想・言論というものの本当のことがわからなければ、人を知ることができない、人間の世界がわからないと言うのです。さきほども申したように、戦後は思想・言論、特にイデオロギーが長いあいだ幅を利かしてきたのでありますが、ようやくこの頃になって「イデオロギーの終焉」ということが言われるようになり、マルクス・レーニン主義であろうが、民主主義・自由主義であろうが、単なるイデオロギーだけでは人世は救われない、本当の文明は栄えないということがはっきりと論述されるようになってきた。孟子は「吾れ言を知る」と言うておるが、今にして初めて、なるほどそうだな、としみじみ思う。
 孟子はその「言」を解して四つ挙げておる。
 ヒ辞。偏った言葉。概念的・論理的に自分の都合のいいようにつける理屈。
 淫辞。みだりがわしい言葉。淫は物事に執念深く、沈溺すること。ちょうど中共理論の如きもので、なんでもかんでも理屈をつけて押し通そうとすることです。
 邪辞。よこしまな言葉、よこしまな心からつける理屈。
 遁辞。逃げ口上。
 この頃の過激派の学生などはみな邪辞・淫辞ばかりを言うておる。大学教授や進歩的文化人といった連中は、もっはら遁辞であります。今やヒ淫邪道の言が一斉に流行しておると言うてよろしい。こういう時こそ論語や『孟子』を読んで、しみじみ会得するというか、啓発それることが大事であります。

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『人としての生き方』(第5回)

 そして、わたくしが心からこの方に付いて学んでいきたいと思ったのは、先生の身の処し方であります。先生は、旧制第一高等学校・東京帝国大学において、沼波ケイ音先生に嘱目されまして、『日本および日本人』に寄稿されたり、或いは、寒川鼠骨先生や三宅雪嶺先生のお世話になる。更にその後、その関係で北一輝四大川周明氏などと結ばれて、「猶存社」等の活躍をされるわけですが、それまで先生がどういう立場でおられたか。これについては、大正十一年、先生が二十五歳の時に書かれた『復興亜細亜の思想的根拠』の序文で知ることができます。
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『臥牛先生行状』(第12回)

 (夫子規模宏大にして思慮深渕小才を用ひ給はされは其の蘊奥を知る人寡とされと一藩の盛衰に目を注き之を匡救せんとの志深くおはせしかは松平を奨曳せられしも先つ藩力を外に展へ然る後おもむろに内政を匤政せんとの遠意にはあらぬか山口三郎兵衛は老公の信任し給ふ近臣にして年夫子より高くいはゆる大人行なはれとも夫子を国の柱石と信国事の重なるは必ず夫子に謀れり後年夫子の南洲翁を武村に訪はるる時詩を賦して送らる。---)
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OCN◇WINDOWS VISTA サポートが終了!おすすめセキュリティ製品をご紹介!というメッセージが送られてきました。これでブロク゜を書くことが出来なくなるのかどうかはわかりません。老人はこの対策が出来ずにいます。
 
 どうしたらよろしいでしょうか。お教え戴けたら有難く存じます。よろしくお願い致します。
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