味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

字の好からんことを欲するに非ず。即ち此れ是れ学なり。

2017-02-03 09:15:21 | ブログ
第2957号 29.02.03(金)
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字の好(よ)からんことを欲するに非ず。即ち此れ是れ学なり。『小学』
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 自分はなにもよい字を書こうと考えているのではない。ただ、字を書くことそれ自身が学問であると信じて書いているだけだ。(程明道のことば)315
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 【コメント】字の上手くない私がいっている言葉のように思います。家内殿は超一流の字を書くので、上手いとか上手くないは幾らかわかるような気がします。
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 要は書いている内容に人を大事にする、人生を共に楽しく生きるという思想があればいいのではないでしょうか。
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 昨日は第二道場のおけいこ日でした。北麓町内会長様宅に使用料をお振込しました文書をお持ちしました。道場に入ったのが4時25分でした。
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 早くついたので、『教養のすすめ』の一部を筆写しました。書き写しながら、内容そのものより、著者・岡崎久彦様の丁寧な書き方に人格の素晴らしさを感じる思いでした。
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 文章そのものに品格があるのです。文章から滲み出る人格が醸し出す雰囲気に、えもいえぬ教養を観てとれるのです。岡崎さんは小説の類は読まないと書いています。思い付き、空想で書くのには人間味がないというような一節がありました。
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 マンガを書く男で傍若無人な人がいますが、死後の世界で大変な目にあうのだよと言った人がいましたが、本当なのでしょうか。荘内南洲会の小野寺先生の字は愛情あふれる字でありました。
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 昨夜は賑々しく子供たちと『南洲翁遺訓』の発表、空手道型の発表のおけいこを致しました。史談会事務局長様がお持ちくださったお写真もそれぞれ配布致しました。
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 今朝のテレビ報道でもありましたが、「読解力が危ない」として読売新聞でも問題提起をしています。それらを踏まえ、子供たちに筆写のすすめをしています。斯く申す私は、三十年来、片っ端から筆写をしてきました。77歳の現在でもそうです。
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 自分でも書きながら楽しくてならないのです。字は覚えるし、文章は学べるし、そして呆け防止にもつながると思っています。兎に角、坐ったら本を読む、字を書くのを1分以内に実践することにしています。
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 出歩かないから、交通事故の心配がないし、車のガソリン代がいらないということになります。

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『教養のすすめ』「無我のなかで達する境地----至誠の人 西郷隆盛」第4回 
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 誠心誠意という点だけとれば、維新の人のなかで西郷と双璧でしょう。その板垣の意見ですから、人を測る尺度も、知識とか能力よりも人間が本物かどうかの一点にしぼられたコメントでしょう。
 国学者・福羽美静は、自分が読んだ百巻の書は大久保が読んだ十巻の書に及ばず、大久保が読んだ十巻の書は西郷の読んだ一巻の書に及ばない、といっています。これも知識を超越した、物事の本質を理解する能力をいったものでしょう。
 その他山岡鉄舟、中岡慎太郎などは西郷を「至誠の人」と呼び、島津斉彬、藤田東湖、平野國臣は、いずれも、彼こそは国家の大事を双肩に担う大人物と評しています。頁32

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『臥牛菅実秀』(第490回)
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 この遺訓が発刊されるとき、警視総監から出版責任者の出頭を命じられた。遺訓の主筆者、赤沢経言は、どういうことかわからぬままに上京して、警視庁に出頭した。
 警視総監は赤沢に会って、まづ遺訓の刊行を極力、称揚し、すこぶる時宜に適したものだといってから、声をやわらげていった。
「ところで遺訓の内容を多少、訂正したいと思うが、どうだろうか。」
 赤沢は憤然としていった。
「一字一句でも手を入れられては、西郷先生の精神を失ってしまうから、それだけは堅く御断りする。もし、それで悪ければ刊行を中止する。」
 数日後に再び出頭を命じられた赤沢は、
「このまま刊行しても差支えない。」
という通告を受けて、この問題は落着したが、当時の人は、このようにいいあった。

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