味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

安居なきに非ず、我れに安心なきなり。

2016-10-25 10:22:02 | ブログ
第2856号 28.10.25(火)
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安居なきに非ず、我れに安心なきなり。『墨子』
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 安じて居る場所がないわけではない。安んじる心がないから安居がないのである。安心、満足があれば、いかなる境遇でも安居はあるはずだ。377
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 【コメント】一人の人間が万般にわたり、人々からヨシと言える論説を書くことは困難だと思います。その中でこれはよいと思えて、自分の肌にもよいと思えるものを学べばいいのではないでしょうか。
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 昨日、元自衛官の方が、自宅に放火し、自殺を図ったらしいですが、漢籍でも繙いていたら、もっとよい解決方法があったのではと思う次第です。

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孟子曰く、聖人は百世の師なり。伯夷・柳下恵是なり。故に伯夷の風を聞く者は、頑夫も廉に、懦夫も志を立つる有り。柳下恵の風を聞く者は、薄夫も敦く、鄙夫も寛なり。百世の上に奮いて、百世の下、聞く者興起せざるは莫きなり。聖人に非ざれば、能く是の若くならんや。而るを况んや之に親炙する者に於いてをや。(『孟子』尽心章句下) 
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 孟子が言うには、聖人は百代に亘って、人の師となるものである。伯夷、柳下恵がこの例である。伯夷のあの清廉潔白の遺風を聞くと、強欲な男も皆感化されて清廉になり、いくじなしでも発憤して志を立てて、やろうという気になる。柳下恵の寛容な遺風を聞く者は、人情の薄い者でも人情厚くなり、度量のせまい者でも寛大になる。百世の昔に奮起したそれらの人々が、百世の後の聞く者をして皆興起感奮させるというのは、聖人でなくしてどうして出来よう。百世の後にさえ、これだけの力を与えるのであるから、この聖人に直接接して、薫陶感化をうけた者は、どんなであったろうさぞ、発憤興起させられた事であろう。(執筆中の『聖賢の訓戒』より、一部転載させて頂きました。解説、筆者にて一部修正。)
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 今朝のテレビ報道で、都知事・小池政治塾が紹介されました。東京都の刷新にあたり、強力に進めて貰いたいものです。思うに、小池塾に入門するより漢籍を学んだ方がいいと思うのですが、如何でしょう。
 『孟子』の今回の原文を読み、自助論に登場する世界の偉人たちを思い出します。成就するまでは、睡眠もろくろくとらず、只管研究に没頭する、何と凄い情熱でしょう。清新さでしょう。これは迚も大事なことだと思います。
 荘内の皆様の来鹿に際して飛び入りし、引っ掻き回す人々には純真さ、清新さは見えないのです。
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 私は、青少年の今日的腐敗は『南洲翁遺訓』の普及と学修なくしては改善しないと考えています。それは半世紀にわたり『南洲翁遺訓』を拝読し、二十年の間荘内の皆様を拝見し、荘内の風土を具に見、荘内の文献を真剣に拝読し、ブログ等にてご紹介してきたからこそ言えるのです。(以上、『聖賢の訓戒』より)、拙い物をご紹介させて戴きました。

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『臥牛菅実秀』(第391回)
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 かつて荘内藩で練武のたるに奨励した殺生は、いまは士族の生計の一つの支えとなった。彼らは魚を釣り鳥を捕って、それを料亭や商家に売って米塩にかえていたのである。
 また士族の唯一の生活費となった金禄公債をめぐっても、いろんな悲劇が起った。
 黑崎馨は虎の子の公債の全部をだましたられた一人であった。酒井家や酒田の本間家や友人の手によって一時の急は救われたが、家計の苦しさは一方ではなかつた。黒崎は篆刻によって辛うじて生活をたて、家族は極度に暮しを切り詰めて、ようやく難関をしのいだのであった。

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