タイトル---政治的立場は違っても。第1551号 25.03.26(火)
知制誥のとき、呉夫人は夫の王安石のために妾を一人買った。その妾を見て、王安石はたずねた。「何だ、おまえは」
「夫人のお言いつけで身のまわりのお世話をしにまいった者です」 「どこの家の者だ」
「わたくしの夫は、軍の御用をつとめて、米を運んでいましたが、舟が沈没してしまいました。損害をつぐなうため、財産を全部売り払ったのですが、それでも足りないため、わたくしが身売りそれたしだいです」
王安石は気の毒そうに、「わしの妻は、おまえをいくらで買ったのか」 「九十万銭です」
それを聞くと、かれは、彼女を呼んで、もとどおり二人を夫婦にしてやり、そのうえ多額の金まで恵んでやった。 (朱熹著『宋名臣言行録』)
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歴史に名を残している王安石の面目躍如たる実践論であります。我が日本でも、総理の時に多くの高級官僚に現ナマを配ったひとがいましたが、後が悪い。娘など一族に多額の金を残しているのです。その金も胡散臭い、ドロドロした物語がついて回ったりしていますが。
安岡正篤先生は、死して後、金が残っていなければ歴史に名を残す宰相として、語り継がれるのだが、と人物の不出来を論じています。最近の宰相で「亡国の宰相」と揶揄された男と同程度という所でしょうか。
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臥牛翁祖は九州肥後の人
実秀九州隼人の智あり 3510 『臥牛 菅実秀』
緻密さと強靭さとが相俟って
実秀気性重厚士風 3511 前掲書
荘内の重厚沈潜士風風
父母の訓誡強靭な士へ 3512 前掲書
鞭打てど煽れども理解せぬ拳士
駑馬と同じで生きる甲斐なし 3514 前掲書
菅臥牛酒井十四万石の
百五十藩士九士郎の子 3515 前掲書
荘内藩藩祖忠勝(酒井氏三代)信州の
松代十万石から移封 3516前掲書
藩士とは文武修練事あれば
成敗利鈍一身挺す 3517前掲書
実秀の生涯行動打算的
功利的世界律しきれずに 3518前掲書
(杉田)玄白の家叟独後で泰平の
武家の堕落が描き出されて 3519 前掲書
御用立つべき御旗本大半
風体卑劣商人と同 3520前掲書
藩士子弟華美遊惰風俗を追い
粗暴無頼な行動得意す 3521前掲書
(九代)忠徳は(白井)矢太夫命じ士風をば
刷新諮問苦慮の果てにと 3522 前掲書
矢太夫は学校設立待つ外は
ないと答申時はかかるが 3523前掲書
学校で学ぶにつれて恥を知る
効果遅いが士風改まる筈 3524前掲書
忠徳は寛政十二年(1800)藩校
致道館をば創設を命 3525前掲書
荘内藩水の元朗家老にて
徂徠学採用教学基礎と 3526前掲書
徂徠学古代聖王正道を
現実政治経済重視 3527前掲書
元朗の学問風潮藩政に
多大影響徂徠学なり 3528前掲書
運命は天命宿命二つあり
天命絶対宿命相対 3529運命を拓く
天命は如何ともしがたきものなれど
宿命人間努力で打開 3530前掲書
思うごと行かずその時思考をば
積極心に変えることで可 3531前掲書