◆長谷川
はじめに
今回の投稿は「中世播磨250の山城」
(中世城郭研究家 木内内則)様の図版
をお借りして学術的城郭研究の進捗
に微力ながら寄与したいと思います。
木内様の調査や研究に真摯な敬意と
尊敬の念を私は表したいと思います。
◆対談者
日本各地の山城に城郭ビイスタの
技巧が見られる事が長谷川先生の
研究の進捗にともない判明して来
ました。相生市の感状山城の設計
縄張幾何学理論城郭ビイスタ論で
解説して下さい。
▼相生市様のホームペイジより引用
感状山城が築かれたれた時代は、
『播磨古城記』『岡城記』などに
よると,鎌倉時代(1192年~1333年)
に瓜生左衛門尉が築いたとする説と、
建武3年(1336年)赤松円心の三男赤松
則祐(そくゆう)が築いたとする説があ
ります。 建武年間(1334年~1336年)、
足利尊氏の追討をしていた新田義貞の
率いる軍勢を赤松円心の三男則祐が奮戦し
50余日にわたり足止めをした結果、足利
尊氏の反撃の機会を与えることとなった
ことは歴史上有名です。この功績により
足利尊氏が,赤松則祐に感状を与えたこと
から感状山と呼ばれるようになったとい
われています。 感状山城は総石垣による
曲輪の構えから考えると,当初からのもの
ではなく、後世に手を加えたもので、戦国
時代(1467年~1568年)にこの周辺を支配した
宇喜多(浮田)氏の手によって改修されたもの
ではないかという説もあります。
◆長谷川
城郭ビイスタ論を全く知られ
ない方はこの動画御覧下さい。
◆長谷川
初めて城郭ビイスタを学ばれ
る方は日本の城郭遺跡に測量
痕跡があるかないかに着眼を
御願い致します例えば但馬の
竹田城にもシンプルに赤青緑
の放射状ビイスタが読み取れ
る事にあります。これにより
城郭遺跡が放射状に測量され
ていた事が判明いたします。
◆対談者
私は女性ですけど長谷川先生
の御教示により扇型の要部分
が城郭にある事を米原学びあ
いステーションの長谷川先生
講座で初めて知り驚愕でした。
◆一般者
長谷川さんの理論など通用
致しません。私は信じない。
◆長谷川
信じる信じないないは別の
分野のお話です。城郭遺跡
の分析の場合は正確な城図
にはビイスタ工法が読取れ
と言う事です。従って木内
様の図版が適格ならば必ず
やビイスタが発見出来ます
また氏の播磨の中世城郭も
至誠に満ちた良書でしよう
下図あにビイスタ起点あり。
◆長谷川
木内さんの図版更に繊細に
ビイスタが読みこめる繊細
な良い図面と言えましょう。
◆質問者
感状山城第二郭に礎石建物
がみられ近江小谷城に似た
構造の城かと思いますが?
長谷川
良い前向きな御指摘ですね。
近江小谷城は大広間を主軸
にくさび形ビイスタが存在
致します。
◆質問者
感状山城に果たしてクサビ型
のビイスタありますかね?
◆長谷川
感状山にも存在致します。
◆長谷川
私のブログを初めて御覧の方
もおられると思います。城郭
遺構の角や隅や辺を注意深く
見学される人を城郭遺跡見学
者様と言いますが1、2、3の
放射状測量点が解ると思いま
す。これが城郭ビイスタです。
◆質問者
享保2年まではこれが日本の
城の測量方法の基本でしたね
この方法と同じ手法は感状山
城には存在するのでしょうか?
◆長谷川
良い質問されますね全くの事
これはSFや空想や妄想でない。
Bの場所は重複型ビイスタです。
その他多数のビイスタが読取
れますね。EFDで構成される。