城郭 長谷川博美 基本記録

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地名や人名や方位から歴史を考察する歴史民俗学

2022-03-06 18:02:15 | 民俗学

地名や人名や方位から歴史を考察する歴史民俗学

◆湖北の人

この高時川にかかる橋の名をこう呼びます。

馬渡橋 もうたり 橋

馬上橋 まけ   橋

 

◆対談者

こんな読み方するなんて予想もつかず楽しいわ!

 

◆一般者

この投稿は全国に広がる八王子神社、山王神社、

日吉神社、日枝神社、近江国坂本を起源とする

事が理解出来て近江浅井氏の後継者が猿夜叉丸

である事も大きな歴史民俗学的視点と思います。

 

◆対談者

全国に存在する地名が比叡山日吉神社坂本関係

だと夢思いませんでした。比叡山の力の大きさ

 

◆長谷川

戦国武将武田信玄は天台座主にもなってますし

上杉謙信は比叡山に入山した経歴を持ってます

日本国の著名な宗教者の多くが比叡山で修業を

している事は事実で学僧の為の大学にも相当す

る学府の要素も強いのが比叡山延暦寺でもある

 

◆長谷川

城郭関連地名は400年前に実施された慶長

見地帳に記録された文献資料に準じる貴重

な地名資料と言えます。考古学の遺跡名称

が決定される基準は地籍名称を基準に命名

されます。

 

◆長谷川

近江の戦国大名浅井氏と越前の朝倉氏に所属

する城郭の小字名の共通根を見出し比較研究

する事により過去の朝倉氏浅井氏の提携関係

をも復元し考察する資料に成り得る思います。

 

◆長谷川

先ずは浅井氏朝倉氏関係の城郭における

1小丸地名を小字から抽出してみましよう。

★『小丸』★

越前 越前引壇城 現 福井県敦賀市所在

付記●朝倉氏/疋田氏の城郭

近江 近江小谷城 現 長浜市湖北町所在

付記●戦国大名三代三代の本拠の山城

付記●小谷城小丸地名は浅井久政隠居屋敷

近江 近江佐和山城 現滋賀県彦根市所在

付記●浅井氏披官 磯野氏 石田氏等の城

 

2、日吉、山王、信仰関連郭の小字地名比較

★『祭祀信仰関連郭』★地名

越前引壇城  日吉神社(小丸曲輪敷地内)

近江小谷城  山王丸 元山王権現奉斎

近江丁野山城 山王䑓 丁野郷、日吉神社

付記●浅井郡丁野郷は近江浅井氏本貫地

近江番場   日吉神社 鎌刃城所在地

近江太尾山  日吉神社 太尾山城所在地

付記●日枝 山王信仰の共通根の潜在 

付記●比叡山 坂本等の共通信仰形態

 

3、馬場地名★『桜の馬場』★

越前引壇城 城下の東部に相当

近江小谷城 本城黒金門前相当

民俗学●さくらは馬事を比喩する言語 サクラ肉=馬肉

付記●近江浅井氏の属城「賤ケ岳城」東部に猿が番場地名

 

◆長谷川

★『鐘之丸』地名★

小谷城  鐘之丸=本丸相当

佐和山城 鐘之丸

彦根城 鐘之丸=本丸より先に鐘之丸完成

 

◆長谷川

★『千畳敷地名』★

小谷城千畳敷き

佐和山城千畳敷

 

◆長谷川

◆余談 佐和山城と彦根城類似地名考 移城地名考

太鼓丸 

千畳敷

西之丸

油掛門

人質郭

京橋口

鐘之丸

 

◆長谷川

『三馬借』考察再考の余地あり 

    疋田の馬借 疋田 越前敦賀郡

    小谷の馬借 小谷 近江浅井郡

    坂本の馬借 大津 近江志賀郡

◆近江坂本の馬借一機

中世後期の主要な陸上輸送業者であった馬借

蜂起した一揆。本来は延暦(えんりゃく)寺による

強訴(ごうそ)の一環として登場したが,のちに

土一揆の先頭を切った行動として注目された。

1418年に近江国大津(現滋賀県大津市)の馬借

数千人が京都祇園(ぎおん)社(現在の八坂神社

を襲った事件は有名。この頃までは,近江国の

大津や坂本(現滋賀県大津市)の馬借が,延暦寺

の強訴を踏襲する形で蜂起するのが一般的であっ

たが,1428年の正長(しょうちょう)の土一揆以後

,徳政を要求する土一揆が頻発し,その中で各地

の馬借が活躍するようになった。→一揆徳政一揆

◆土倉業者

本来は土塗りのによって周囲を囲った倉庫を指し

ていた(土蔵)。奈良時代の記録に「土倉」という語

も出現している。ただし、堅固な土倉の出現は鎌倉

時代後期とする説が有力である。なお、蔵書家として

名高い平安時代左大臣藤原頼長の書庫は板壁の上に

石灰カキ殻を塗って補強したものであったとされ、

これが当時のもっとも頑丈な倉庫であったと考えられる。

◆近江浅井氏に蔵名称あり

浅井直種
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 蔵人、蔵人丞(通称)、直稙、廣政
官位 備後守
主君 京極氏
氏族 浅井氏
父母 浅井重政
兄弟 忠政直種
政種亮政井演政信?

浅井蔵屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 

浅井 蔵屋(あざい くらや、生年不詳 - 永禄11年

8月26日1568年9月17日)は、戦国時代の女性。 

浅井の宗家である浅井直政の娘で、父のいとこ

ある浅井亮政戦国大名の浅井三代の初代)の正室。

子は浅井明政室の浅井鶴千代浅井新四郎政弘

天文初年に早世)。孫娘海津局饗庭局の2人

がいる(共に海津殿(鶴千代)の娘で、淀殿侍女

及び乳母を勤める)。戒名雪渓玄盛大姉と号する

(『徳勝寺受戒帳』)。

人物像[その性格は、質素で飾らぬ

ことを好み、「我が家にては金銀を

宝とせず、慈悲を持って宝となすべし」

と述べたという(『豊内記』)。

浅井亮政の側室である尼子馨庵とともに竹生島小島権現

再興にあたっていることなど、嫡女として、亮政の正室

として、亮政の奥向を治めていた。天文4年(1535年

11月25日、徳勝寺にて戒を受く(『徳勝寺受戒帳』) 

永禄10年(1567年)9月6日、竹生島の小島権現再興にあた

って、馨庵とともに槫(くれ・板材のこと)五十丁を寄進

して助成する(『小島権現棟札』)。

 

◆長谷川

★馬の世界★

古代浅井氏族浅井氏考

古代浅井氏浅井馬飼 「あさいのあたいうまかい」

 

越前中世朝倉義景館遺跡 水堀より出土木簡

にみる墨書に「御者 たやとの」

御者/ぎよしや=騎馬の調教をする人 牧野=マキノ

たやとの=田屋殿=高嶋市マキノ=高嶋浅井氏「田屋氏」

平安時代(927年)に編さんされた『延喜式』によれば、

奈良時代には北陸への交通の重要地点であったマキノ

町域(現滋賀県高島市)に官道が通り、「鞆結(ともゆい)駅」

が設置されていた。この鞆結駅から最短距離で敦賀松原駅

に至る黒河越え(白谷越え)がある。

 

志賀の陣(しがのじん)は、元亀元年(1570年

9月16日から12月17日にかけて発生した、織田信長

浅井長政朝倉義景比叡山延暦寺の戦いを言う。

 

↓きゅうえんしんこう

厩猿信仰=うまや/厩の神=さる

猿=比叡山の山神の使者 

おうやまぐい=大山咋神と表記『古事記』では

別名を山末之大主神やますえのおおぬしのかみ

 

◆都の鬼門東北の概念

京都都京都御所(ごしょ)北東の角塀が猿が辻

言われており鬼門東北隅に猿の木刻が残っている。

京都の内裏から見て北東の方向は比叡山延暦寺。

 

◆近江国の東北鬼門とは?

伊香郡の己高山鶏足寺に相当し宝物収蔵庫

己高閣には平安期の蓮華の葉を持つ木彫の

猿像が残る。

 

◆更に北の鉛比古神社の摂社日吉神社には

猿の姿を描いた「猿幕」が伝えられている。

 

◆戦国時代の浅井三代

     一代 浅井亮政=浅井本宗家 宗女蔵屋の婿養子 備前守

     二代 浅井久政 猿夜叉丸 下野守

     三代 浅井長政 猿夜叉丸 備前守 一時賢政

     四代 浅井三姉妹、

        茶々(淀殿)豊臣秀頼生母

        初(常高院)京極高次正妻

        江(嵩源院)徳川家光生母

 

浅井備前一子美濃国関ヶ原で磔刑、天正元年

文献『信長公記』記載あるも本名は不明

万福丸=『浅井三代記』軍記物に登場するが猿夜叉

を使わず。万菊丸=浅井周防守井頼=豊臣秀頼家臣

 

◆問題提起!

浅井氏宗嫡子は猿夜叉が通例であり

万福丸は浅井備前の正妻の子息に在らず側室の子か?

浅井備前守の正妻お市の子に相当しない?歴史の謎?

類例 徳川家宗嫡子は代々竹千代=徳川家世襲名称を

若年より踏襲する。       

     

山王信仰(さんのうしんこう)とは、比叡山麓の

日吉大社滋賀県大津市)より生じた神道の信仰。

全国に分布する日枝神社、日吉神社、八王子神社

の神社名称の総本山ともいえる祭祀の中心日吉神社

    

 

コメント (1)
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