城郭 長谷川博美 基本記録

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お城の縄張り図と縄打図の対談

2019-11-06 03:11:24 | 城郭

◆長谷川
 投稿内容は最初は難解に思えますが
しかし徐々に読み進むとシンプル単純
で大事な事に気付く一般の方に向けた
記事が含まれています。どうぞ宜しく
最後まで読まれる事を御い願致します。

◆縄張人
長谷川先生私も縄張図を書くのですが
この程度で良いと常に思っております。
これは大津の野々口丹波城ですよね?

◆長谷川
現代はお城ブームです。過去のバード、
ウオッチングの時にも一般大衆の人は
野鳥図を見ている人いませんでしたね?
人が行くから私も行くの集団心理です。
現代のお城ブームや各種お城イベントは
如何に一般大衆を動員のするかが目的と
目標にされてます、如何に楽しいかが
大切であり、お城観光の人に、縄張図は
必要とされていません。楽しく行く事や
気分転換やリクリエーシヨンの為の憩い
と言ってよい文字通り「観光行楽」です。
しかし御気楽な何百万人もの人々の中に
は城郭遺跡を学ぶ人が誰か御一人様でも
現れた幸甚と私は慎ましやかに思います。

◆縄張人
論題がずれています。私が今議論にして
いる事は大衆の事ではなく縄張図を書く
上での事です。以下の図面ならば私でも
誰でもが書く事が出来ます。アバウトな
見取図つまり縄張図など簡単に書けます。


◆長谷川
そうですか?簡単にね?私は中世城郭が
アバウトな手書きのフリーハンド感覚で
普請や作事され物とは到底根本的に考え
ていません。確かに自然地形には制約さ
れていますが、あくまでも人間の成した
造成、造形デザインされた形であり、人
工的な土木工学や建築や高度な幾何学が
存在したと私は考えております。その辺
の解釈の仕方や、中世城郭への取組方に
は時には、大きな個人差や時には偏見や
誤解が生じている場合や可能性をも含ん
でいると思いますが、私個人は、みんな、
仲良くを希望する融和主義者なのですよ。
城郭ビイスタ論 上文字クリック
◆縄張人
ところがですよ。私が縄張図を書いても
長谷川先生のような中世に城を普請した
時の緻密な現代で言うアバウト概略的な
縄張図よりも更に本格的土木「普請工事」
や作事「建築」を設計、計算し尽くした
メカニカルつまり当時のハイテク技術を
駆使して城郭を築いた500年前の現実の
世界が私の図面には残念ながら浮き上が
って来ない!でも長谷川先生の図面には
生々しく中世城郭築造の過程の様相まで
もが克明に浮かび上がってる事への驚き
があります。私は自分の図面こそが、優
れているさ一流であると100%確信して
いたてのに私は今は私の図面に自体には
到底、正直、未熟さを痛感致しています。
つまり私は500年前の実際の現実の城の
世界を知りたいのに、全く平成、令和の
視点でしか、中世城郭を捉えられていな
いのかと!自分の浅さを認識するんです。
長谷川先生の図面を見てると当時の水糸、
ドロー、ザ、ライン、つまり中世の設計
線「縄打線」までが生々しく見えてくる。

◆超城郭熟練者!
何だ!何だ!そんなものがどうしたんだ!
ところで「縄打」って?何だよ!それは?
▲長谷川
これでしたね!基本中の基本です。
『朝倉築城記』に記録されてます。

◆超城郭熟練者!
ふん!そんな事など俺は知ってるぞ。
生意気な事を言うな生意気な!「怒」

◆みんな
アナタは『築城記』と言う書物を知って
るだけで!充分に咀嚼し理解出来てない。
知ったかぶりなら誰でも出来る朝飯前よ!

◆長谷川
言い争いはやめて下さい。みんな仲良く!
学門は怒りや言い争いの世界でありません。

◆縄張者
長谷川先生の縄張図は私の図面と比べて
根本的に違う所があります。『築城記』
には塀の外に犬走りを置くと書いてる。
もっとも是は基本中の基本なのですが
犬走なんか見たく無いと言われる人は
城を見る気が根本的に無いと言われて
いる事と全く同じ意味と思いますよ。


◆縄張者
私は、これを認識出来ていません。でも
長谷川先生の図面は是を全て捉えてます。
私は永遠に長谷川先生のレベルまで一生
追い付ないのかと?重く真面目に考えて
しまう。私の図面は永久に59点程度かと?

◆長谷川
金城温故禄にも城の側面の法面の犬走や
塀の外の犬走りも明確に記録されている。
◆長谷川
良いではありませんか!1点地道に加点
すれば70点になる貴方に30点伸びシロが
あると言う事楽しみが残ってます!あまり
城郭純粋君になるより気楽行きましよう。
気楽に仲良く。素朴に仲良くが大切です。

伊坂城犬走▼「現在はもう存在しません」

◆縄張者
しまった!これ見学してません!

長谷川
番場城でも犬走を見ないとこんな感じに。
◆長谷川
犬走を計測するとこの様になります。
◆縄張者
しまった!私の図はまるで子供の絵だ。

◆縄張者
これは、一般大衆の人または城址探訪を
日本で50年間続けられた人の含蓄や城郭
遺跡概念と長谷川先生の図面には大きな
隔たりが生じてると思います。私も城址
に関しては、かなり、シビアな本格派図
だと自負していたのに長谷川先生の図面
には全く私の認識出来ていない中世城郭
の現実の生々しい世界が存在しており私
は長谷川先生には、遠く及ばないのかと
いや城郭遺跡にもしかしたら、私は中世
城郭に対して厳粛に真摯に対峙しては
いないのでは無いのかなとも思います。

私はもっと別の
城郭研究視点や、より深淵な城址の見学
の仕方が、潜在している様に思うんです。
自分が認識していたメインロード中央道路
とは異なる別のアナザーサイドの奥の細道
がある。でも?もしかすると500年前には
長谷川先生の図面の世界が普通だった可能
性はゼロではないと思います。

長谷川
もう一度佐々木六角の和田山城を復習して
おきましよう!さあ最初に一歩からです。

縄張人
①そうなんです!①の図は私も解るんです!
縄張人
②でも私の図面は②や③の線が出て来ない!
これが私は悔しいんです。負けてなるかと
いくら頑張っても私の図面には出て来ない!
◆長谷川
良いではないですか?気楽に楽しく行く事!
城郭縄張図は競技で無いので十人十色です!

◆兄貴君
でも薩摩イモのイラストみたい図とか!
アジの開きみたいな、図面いやだよなあ!
もし藤堂高虎に直接面接する機会がある
と仮定したら。イモのイラストみたい図
を高虎に見せててハイ私が一流の現代の
縄張り研究家ですと言ったら、巨漢の高虎
に「未熟者!無礼者!」と罵倒されて即刻
首の骨折られる可能性あるかも!?ああ
令和と言う時代に生れて本当に良かった?

◆長谷川
そうです。のほほん。大甘大切な事です。

◆縄張人
私は思うんです。藤堂高虎は築城名人と
徳川時世で謳われた人ですが築城や甲良
大工の作事何れも、一流だった可能性が
あります。あの有名な徳川秀忠にアバウト
な城郭図面と詳細な城郭図面の二種を見せ
て秀忠がより詳細本格的な図面の縄張図を
選んだ事に対して藤堂高虎は二代将軍徳川
秀忠はさすが人傑の人物である。縄張図の
優劣をも看破する優れた将軍であると世間
に喧伝し徳川幕府体制にヨイショした株式
会社藤堂城郭建設の裏側が見えてくる城郭
コンサルタントで、処世術に非常に長けた
近江商人的、達人とも言えると思います。
また
長谷川先生のブログ記事を読んで反応し
理解している非常に少数の2~3人の人も
こはスゴイ人だと思います。いやいや?
本当は10人20人と居るとしたら私は本当
に未熟で、お恥ずかしい限りです。

◆長谷川
今は令和です。元和ではありませよ。
また500年前の中世でもありません。
気楽に行きましょうよ!本物が流行する
時代では無いのですよ。楽しく、気楽に
みんな仲良く朗らかに行く事が大切です。

◆縄張人
いや長谷川先生に気付いた人が数名いる
事に驚いてます。世の中にはいるのだと!

◆長谷川
さて貴方は、大変重要な事に目覚められ
ました。これは「まなび」と言うよりも
「気付き」と私は思います。人間がふと
思う気付いた瞬間が非常に重要と思いま
す。何故なら気づいた事は、二度と一生
忘れる事はなく脳内にあるランプが点灯
した事になります。脳科学ではシナプス
の結合と言う記憶を司る分野と思います。

◆長谷川
縄張人さんは自分の作成した縄張図には
縄打線を見出す事が出来ない、もしかし
て城址を観察したり考察する別の手法が
別の世界が存在しているのではと未知の
世界つまり新しい研究のテーマを発見さ
れた事になり。簡単に言うなら気付です。

◆一般様
長谷川先生のブログ読んでいますと今
先生は一定の事業所や一定の見学組織に
全く属しておられません。簡単に言うと
PRの心理よりも世の中の人々に何か?
重要な事を伝えようとしておられると私
は思います。長谷川先生を支持する組織
も先生の仕事さえも全く無い孤立状態で


◆長谷川
私が何回か講師で訪れた城郭遺跡見学で重要
な事に気付かれた人は、おられると思います。

◆縄張人
初歩的な気付きの事ならば、私は
この会話に関わりたくありません!

◆長谷川
縄張人さん貴方は一般の人より、自分は
城址の事を知っているという慢心がある。
しかし私の図面を見て何かを感じた事は
貴方は自分の心の中にある自分に気付い
たと私は思います。自分は充分知ってる
と思ったが私の図面を見て何か気付いた。

◆縄張人
長谷川先生自身は城郭縄張奥義を極めて
慢心はありませんか?心に驕りは無い?

◆長谷川
いいえ私は、素人の初心者なのですよ。
400年前500年前の城の事はその当時に
私は生きておりませんから全くの素人
だと永遠に思っています。従って城郭
の先生は城郭遺跡自体だと今でも思い
ます。城郭見学で大切な事は城址観察
です。私は誰よりも、城郭の事を知ら
ない人間だと自覚しています。従って
私は城郭遺跡の解説に関しては自信が
ありません。私は城の事を全て知って
とる思う事より何も知らないんですと
堂々と気付く事の方が大切と思います。
素人に帰る、原点に帰る、真っ白な
白紙に帰れたらリセットした事つまり
再びスタート地点に立てたと言う事。
世阿弥の、初心忘るるべからずです。

◆縄張人
城郭で自分が自分に気付くとは何です?
一般市民が発見された伊庭山城の図も
私には驚愕する詳細繊細さを感じます。
もしかすると地元の人はこの遺跡には
全く興味も関心全く無いか知れません?

◆長谷川
それが世間と言うもの現実や実際です。


◆長谷川
例えば名古屋のミナミさんが虎口は何と?
私に質問されました。これは自分の心の
中に城を学ぼうとする自分に気付かれた。
私は是が非常に嬉しいミナミさんは一歩
確実に進歩された事が私として喜ばしい。

◆長谷川
例えばイワクラさんが東京に出張されて
急速に私の城址見学に参加する為に滋賀
まで、急遽帰られた事は、長谷川フアン
ではない城址を真剣に見学したい自分の
本心に、気づかれた事なんです。気付き!

◆長谷川
イケズキさんが山口から急遽滋賀へと
引き返された事は著しく城学習が進化
された事と遺跡を見る自分の心に徐々
に気付かれた事だと私は思いますよ。

◆長谷川
ご氏名は申しあげませんが自分自身が
城郭遺跡を見る心に気付かれた人々に
対して、私は有意義な事だと思います。
何故ならばそれらの人々は城を見る事
に開眼されたと思うのです。開眼とは
一瞬脳の中に閃光のようにヒラメく事
つまり城郭遺跡を見学するスイッチが
onオン、になった事を意味すると思う。
名前は上げられませんが、名古屋のあの
人も岐阜のあの方も、福井のあの方々も
兵庫の方々も三重の方々も滋賀県内の方
も開眼されている城を見る目人を見る目
は持ってらっしやると私は信じています。

◆超城郭熟練者!
経験50年のワシの智識はどうじや?一流か?

◆みんなの
鶴の一声!論外の人です!
私達は初心者なのです!貴方は初心に
城址見学の原点に帰る事が出来ない!

◆長谷川
私は何も知りません。ソクラテスの無知
の認識こそ智への出発と言う哲学に似て
ますが、ある立派な人が私は京都御所や
城郭にも東北に対する鬼門除けがある事
を知らなかったと正直に言われましたが
是は素晴らしい進歩です。何故かと言えば
そんな事ぐらい俺でも知っているぞと構え
高慢に考えた瞬間に人間は智へのスタート
つまり初心を失って向学のチヤンスと言う
貴重な人生の機会を無くす事があります。
知らない事は恥ずかしい事ではなく実は
智の出発点スタートラインなのですから!

◆縄張人
長谷川先生の藤堂高虎、織田信澄、明智
談議興味深く読まれせもらい、また小説
「近江商人轟陣兵」のに登場する人物達
の発する言葉にも興味を、強く抱きます。

◆長谷川
意外に歴史の中では忘れ去られてる。
信澄ですが父は信長と家督を争った
勘十郎信行こと織田信勝の息子です。
彼は柴田勝家に養育され、津田坊と
しての名も持っていましたが、幼少
期から柴田の元で育ち、安土城普請
では丹羽長秀と並んで安土の普請役
を務めています。妻に明智光秀の娘
一時は家臣に藤堂高虎を迎えた織田
信澄ですが織田信長安土居住の時節
には丹羽が佐和山城主で織田信澄が
湖の対岸の高島郡の大溝城主でした。
丹羽長秀は本能寺の変後織田信澄を
殺害し高島郡も自らの所領とします。
織田信澄は武人として一段優れた人
であった可能性が高く信長には大和
の国を下賜される事を主張したりし
ています。何やら織田信澄と明智と
秀吉や長秀らの派閥闘争が存在した
可能性が見え隠れします。またその
間隙に藤堂高虎が築城技術者として
登場している事も真に気になります。
コメント (2)
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