コトノハ

~Kotohaの言の葉~
嵐くんを応援しています。

2008/9/16 The Moments

2008年09月17日 | 北京五輪
櫻井翔×谷亮子選手
「THE MOMENTS」では前回(5月)のインタビュー一部と
「NEWS ZERO」(9/15)では放送されなかった部分もあったので独立エントリー。

以前のエントリーと重複する部分も多々あります。
いつも翔くんの言葉ばかりを起こしているのですが、
谷選手の言葉にもとても感動いたしました。
完全なレポではございませんのでご了承下さいませ。

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☆オープニング
翔くん:“ママでも金”に挑んだ谷亮子選手。しかし
~8月9日北京五輪・柔道女子48kg級準決勝のVTR~
谷亮子vsドゥミトル(ルーマニア)
実況:(反則は)谷にだけです

スタジアムの翔くん「ええっ!?」

翔くん:僕も思わず声を上げたあの判定で、まさかの敗戦。
それでも彼女は意地を見せてくれました。
~谷選手・銅メダル獲得(一本勝ち)の瞬間の映像~

スタジアムの翔くん、腕を上げて大拍手。

翔くん:凛とした表情で掲げた5個目のメダル。
そこに辿り着くまでには母と柔道家の両立を目指した過酷な戦いの日々がありました。
そして北京からおよそ一ヶ月。初めて語るオリンピックの真実。
彼女はこの先どこへ向かうのでしょうか。

☆タイトルバック

翔くん:北京オリンピックまで、あと3週間に迫った7月18日。
谷亮子選手は地元福岡の海岸でトレーニングに励んでいました。
気温35度を越える炎天下で下半身を強化。
それ以上に暑さに負けない強い精神力を鍛えるのが目的。
16歳で初めて出場したオリンピックも北京で5度目。32歳。
母として初めて迎えるオリンピックに向け、自らを厳しく追い込んでいました。

海岸で練習する谷選手「暑い」
翔くん:全ては“ママでも金”のために。

翔くん:2005年12月、長男・佳亮くんを出産した谷選手。
掲げた目標は“ママでも金”。母として、妻として、柔道家として、全てに全力で。
今年5月、谷選手にその大変さを聞いてみると
(5月、海岸で握手する翔くんと谷選手の映像)
谷選手「もう無理なんじゃないかなって思うことは毎日で、
精一杯練習して帰ってきても息子が抱っこって言ったら抱っこしなければならないし、
抱っこしながら掃除したりご飯を作ったり買い物に出たり、
出産してからというのは本当に大変で世の中のお母さんがどれだけ大変かということを、
まぁ身に染みますね」
翔くん「ただそれが出来ると、お子さんを持つアスリートの方々に、
出来るってことの示しにもなるのでは?」
谷選手「そうですね。そうなってくれたら私もやってよかったなって思いますし、
やっぱりそういった道を開拓できたら、すごく嬉しいことだと思うんですね。
そういった道しるべになればいいなとは思いますね」

~8月5日 北京空港の谷選手~
ナレーター:池田秀一さん
~8月6日 練習風景(北京)~

~8月9日 北京五輪柔道開始~
準決勝 vs ドゥミトル(ルーマニア)
両者に指導
谷選手に指導(残り33秒)
ドゥミトル選手の優勢勝ち

谷選手が国際大会で敗れたのは12年ぶりのこと
池田さん:試合直後、報道陣の前を横切る谷。誰一人として声をかけるのを憚られる。
(翔くんもそこに)
そんな雰囲気を漂わせていた。

その30分後、3位決定戦 vs ボグタノワ(ロシア)
池田さん:大声援に押されるように前に出る谷。
谷選手、一本勝ち(払い越し)
観客席に手を振り、深々と礼をする谷選手。

池田さん:日本人選手とは初となる、5大会連続のメダルを獲得した。

☆対談へ
翔くん:8月下旬(東京ドームホテル)。
谷選手に北京オリンピックについて本音を伺うことが出来ました。

翔くん「今日はよろしくお願いします」
谷選手「よろしくお願いします」
握手する2人。

翔くん:並べられた5個のメダル。彼女が築いてきた歴史のすごさを改めて感じました。

翔くん「まず、今ひと月ぐらい経って、今のお気持ちというのは」
谷選手「皆さんへの感謝の気持ちと言いますか、いっぱい応援して頂いたので、
その感謝の気持ちと、金メダルを目指していたんですけれども、
その事にチャレンジできたことの満足感を得ている感じですね」
翔くん「金メダルを目指していて、結果銅メダル。
それはすごいことだと思うんですけども、悔しさというのは今・・・」
谷選手「あ~、そうですね。悔しさはあまりないですね」
翔くん「へぇ~」
谷選手「実際に今回銅メダル獲得することが出来て、
その前に一番最初に手にしたのが銀メダルでしたから、
銀を2回、金を2回、そして今回銅メダル1回ということでそれぞれに、
大会毎にテーマを持って臨んできましたし、勝っても負けても喜びの方が残っているというか。
ここまで自分自身を高めていろんな事にチャレンジできた事。
振り返ってみると喜びがありますね」

翔くん:そして気になるのは準決勝でのあの判定。
谷選手はどう受け止めているのでしょうか。

翔くん「残りもう僅かなところで谷選手だけに反則が取られてしまう。
あのときの気持ちというのはどういった気持ちだったんでしょう」
(谷選手、慎重に言葉を選びながら)
谷選手「あの部分では審判の先生の判断なので、私の中ではどうしようもないという。
小さなポイントなんですけれども、あの場面で来るとしたらお互いに・・・。
技をせめぎあえてなかったので、お互いにくる、という感じだったんですけど。
お互いに攻めましょうというような・・・。感じにも受け取れたんですね。
自分自身が試合をやってて。確かに悔しいか悔しくないかと言われたら、
悔しい思いがありますけど。なにか・・・、あのポイントだけでという感じの試合でしたね」
翔くん「僕はあの、試合終了後の記者会見でドゥミトル選手がこの4年間
谷に勝つことを目標にやってきた、と。
だから今回谷に勝ててすごい嬉しいんだと。
だから谷に勝つということが金メダルとイコールになるくらい、
外国の選手にとって、すごく大きな目標の一つであると痛感したんですね。
そういった意味でいうと、1回戦にしろ2回戦にしろ、
向こうの選手は全力で戦ってくるんじゃないですか?」
谷選手「(笑いながら)そうですね」
翔くん「その勢いというのは感じますか?」
谷選手「そうですね。今大会に限らず、どの大会でも感じますし。
一回試合したことを次のときにもう一回やろうと思ったら、
それは通用しないんですね」
翔くん「はぁ~」
谷選手「もう研究されてしまうので。ですから同じ柔道は2回できないんですよ」
翔くん「えーっ。それはホント大変ですね」
谷選手「そうですね。戦術の多さが、技の多さが勝ち続けていくためには必要で、
この試合ではこれが必要だな、この試合ではこっちの方が必要だなっていうことを
瞬時に試合中に判断してやっていかなければいけないんですけど」
翔くん「3位決定戦ですけど、僕はあの一本に、その、谷選手の、
なんか意地みたいなものを感じていたんです、感じてしまったんですけど、
あの試合というのはどういう気持ちで臨んだ試合だったんでしょう?」
谷選手「あの試合は今まで感じたことのないくらいの会場の声援ですね。
それを肌で感じさせて頂いた1試合だったんですけど。
いろんな大会で大声援をして頂いて、必ずその大声援を肌で感じる瞬間があるんですけど、
今回は最後の試合のときに肌で感じまして、
試合をやる前から皆のエネルギーが鳥肌が立つような感じで私に集まってきてくれたような感じで。
皆の思いが押してくれたような感じです」
翔くん「今までにないくらい?」
谷選手「そうですね。親子で応援に来て下さっている方とかもですね、
上の方の席から『ありがとう』って言ってくれてて、
泣いてたよ、っていうことを聞いてたりして、
そういった一人一人の思いを知って、
試合が終わってからですけど更に熱くなってしまいました」
翔くん「表彰式はどうでした?」
谷選手「1つ1つの重みを知りましたね。
オリンピックの金・銀・銅のメダルの重みというのを実感できた、体験できた瞬間でしたから。
こうして自分の手元にやってきてくれた金・銀・銅のメダルというのは一生の宝になると思いますね」

翔くん:母として、初めて挑んだオリンピック。
育児と柔道を両立する姿を間近で見てきた夫・佳知さんは今回の銅メダルについてこう言いました。
「僕には金色に見える」

翔くん「この4年間というのはお子さんが産まれたりとか、
また大きな生活の変化もあったと思うんですけど、この北京オリンピック、
今までと何か違うことっていうのはありましたか?」
谷選手「やっぱり特別な1つの大会になったな、という思いはありますね。
結婚する前と、結婚してからと子供が産まれてからの3パターンを経験することが出来たので。
本当に大変だったのはやっぱりママになってからのアスリートというのは、
子供を持つ前とは全然、いろんな意味で違いましたね」
翔くん「ご主人は北京から戻られて何かお言葉かけられたんでしょうか?」
谷選手「そうですね。『お疲れ様』っていうことと、あとは『怪我はなかった?』
ということをいつも一番に聞くんですけど」
翔くん「あれ、僕には金メダルに見えますっていうのは直接は言われないんですか?」
谷選手「それは、はい、直接は(佳知さんからは)聞かなくて」
翔くん「そうなんだ~。僕ほんっと(強調)素敵な言葉だなっと思いました」
谷選手「ありがとうございます。
そうやって見ていてくれてたんだなっていうことを実感しましたしね。
すごく嬉しかったですね。主人と結婚して良かったなって」

~8月11日 北京国際空港~
翔くん:銅メダルを獲得した2日後、北京国際空港。
そこには母親の顔に戻った谷選手がいました。
試合前は別れるときに寂しがるからと、あえて佳亮くんと離れていた谷選手。
久々の親子の時間も佳亮くんが高熱を出してしまったため、
片時も側を離れず心配しきりでした。
その頃、世間では谷選手の去就が騒がれ、引退を憶測する記事も。
そんな中、谷選手が沈黙を破ったのはオリンピック後、初めて出演した番組でのこと。

~8月24日放送 北京五輪総集編(日テレ)~
翔くん:その時、子供を持つお母さんからメッセージが送られました。
「すごく勇気付けられます」
「すごく励みにはなりました」
「子育てしながら練習もして一生懸命頑張ったなって観てました。
両立して頑張ってほしい。もう一度金を獲ってほしいと思います」
「ママの代表として4年後のロンドンも頑張って欲しい」

さんまさん「同じ立場の人からメッセージをもらうというのは嬉しいことですよね」
さんまさん「今後というのは?オレの夢ですよ?“おばあちゃんでも金”」
(笑)
谷選手「さんまさんにそう言って頂いて、今後どうなんですか?
って聞かれると思ったんです、今日。
だけど4年後も頑張って欲しいと言われると思ってなかったので、
ぜひそういった声を力に変えてまた努力を積み重ねていきたいって今思いました」
堀尾アナ「ということは!?」
さんまさん「行くんだ!?」
堀尾アナ「ロンドン(五輪)に?」
谷選手「やりたいと思います」

翔くん:このとき、ロンドンを目指すと決断したのです。

翔くん「ロンドンに向けていばらの道じゃないですけれども、
また今までよりも厳しくなることも多くあると思うんですけど、
そこをあえて進む、あえて目指すモチベーションというのは・・・?」
谷選手「1つは情熱ですね。そこにやっぱり情熱があるから。
柔道に対してもあるし、もちろんお仕事であったり子育てであったり家のことであったり。
いろんなことに情熱があるから1つでも欠けると、やっぱり・・・。
中途半端に終わりたくないですね。
翔くん「谷選手の流した涙というのがとても印象的だったんですけど、
その涙の理由というのは?」
谷選手「お母さん方の熱いメッセージに。言葉一つ一つが勇気づけられましたね。
私の方が。本当に心からの応援というのは本当に届くんですね。
自分の目標であり夢なんですけど、みんなの夢でもあるし、
みんなのいろんな気持ちを私も感じながらやらせて頂いているので、
それが私を突き動かしてくれる、前へ進めてくれる源と言いますか。
応援して頂ける選手であり続けたいなと、思いますね」

翔くんの締めのコメント
「16年もの歳月をかけ、5大会連続のメダルという偉業を達成した谷亮子選手。“ママでも金”はなりませんでしたが、ママさんアスリートの道しるべになるという大きな目標は成し遂げました。それでも彼女は走り続けます。そこに情熱があるから。思いを重ねてくれる人がいるから」

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