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伏見稲荷大社 荷田春満旧宅・お茶屋の参観案内(2012 京の夏の旅1)
写真は、東丸神社(左)と荷田春満旧宅(右)
伏見稲荷大社にある通常非公開の荷田春満旧宅とお茶屋が公開されます。
概要
期間は、7/7~9/30。
時間は、10:00~16:00。
拝観料は、800円です。
案内
荷田春満は1700年前後(5代綱吉~8代吉宗の頃)に活躍した国学者で、伏見稲荷の神官(羽倉姓)の子に産まれました。
俗に大石内蔵助に吉良上野介の茶会の日程を教えたとも云われています。
この旧宅が近年修復され、書院や庭園が公開されます。
お茶屋は重要文化財で、江戸初期に後水尾上皇から御所の古御殿を拝領したものです。
修学院離宮を造営した程の後水尾上皇ですから、見事な数寄屋造りのようです。
また回遊式庭園の”松の下屋”で、棟方志功の襖絵が公開されます。
豆知識
・後水尾天皇
第108代天皇。
修学院離宮などを造営し、和歌にも通じた文化人でした。
中宮は徳川和子(東福門院)で、和子は2代将軍徳川秀忠と”お江”の子にして兄が3代将軍家光。
後水尾天皇の在位中に幕府は「禁中並公家諸法度」を定めました。要するに朝廷の既得権益の制限を始めたのです。
そこで起きたのが”紫衣事件”です。
かつては高僧に紫衣を朝廷が授け、そのお礼が朝廷の収入にもなっていました。
これを幕府が「ダメ」といったわけです。
これに怒った天皇は、第109代明正天皇に譲位してしまうのです。
ちなみに明正天皇は東福門院との間に出来た”女帝”です。
ある見方では、ここがミソらしいのです。
女帝の子供は男児であっても皇位継承権はありませんでした。
つまり明正天皇に譲位したのは、東福門院に配慮しつつも、以降の天皇から徳川との血縁を切る目的があったのではないかとも云われています。
事実、第110代後光明天皇は、後水尾天皇のいわゆる側室の子供です。
最後に後水尾天皇は85歳で崩御するまでに(当時ではかなりの長寿)30人以上の子をもうけ、すべて自らの子である第109代明正天皇~第112代霊元天皇まで院政を行ったものすごい天皇でした。
アクセス
最寄りの駅は、JRの稲荷駅か京阪電車伏見稲荷駅です。
参道を進むと正面に大きな楼門があります。
これを潜った右手に荷田春満旧宅が、左隣に東丸神社、さらに左奥にお茶屋があります。
近くのおすすめ
伏見稲荷大社の千本鳥居はもちろん一緒に行っておきましょう。
また7/17までなら、東福寺の天得院の桔梗もきれいです。
JRで稲荷駅の次の東福寺駅、京阪電車で伏見稲荷駅から2駅目の東福寺駅で下車です。
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コメント ( 4 ) | Trackback ( )
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女帝の場合、夫が天皇かその皇子で彼女自身も皇女かつ未亡人である方と生涯独身を“強いられた”方の二通りあり、明正女帝は後者であったのです(同様に孝謙天皇/称徳天皇、後桜町天皇だったかな、最後の女帝もそうです。推古天皇や持統天皇は前者です)。
そんな指摘もあるのではないかと多少は予感はしておりました(笑)。
それだけご存知ならそうなんでしょうね。
御指摘ありがとうございます。
すいません。
学術書ではなく、所詮ブログですので、そのあたりはご容赦ください。
拝観の時期やアクセスについては、自身で確認しているので、そこは大丈夫だとい思います。
以前にも書きましたが、よくある流れは、
補助金を貰って改修
→きれいになる
→補助金を貰う条件に、定期的な公開の義務がある
→定期に公開するようになる
ですね。
今回がそうなのかは分かりませんが。