前にも同じような文章を書いたかもしれません。
大学のとき私は、筋ジストロフィー症の方々の介護をさせていただくボランティアサークルに属していました。
毎週日曜日の午後に、仙台市の西多賀にある国立療養所に行き、お手伝いをしていました。
当時、筋ジストロフィー症は筋力が年々低下し、小学低学年で歩行障害。小学高学年で車いす生活。高校生になると腕も動かすことが困難となり指先だけで操作できる電動車いす使用となり、20歳前後でほぼ寝たきり、そのまま約8割の方が永眠されるという病症でした。
現代医学をもってしても完治することが困難な難病に指定されていますが、一日も早い治療法の開発を切望します。
その患者さんたちを大学の“大学祭”に招待するイベントを毎年やっていました。
大学3年のとき、患者招待のリーダーとなり、外出機会の少ない患者さんたちに祭りの雰囲気を体感してもらおうと準備に没頭しました。
サークルのメンバーは20名ほどで車いすやギャッジベットの患者さん80名を案内するのは無理で、1人の患者さんに3名の介護ボランティアが付きます。つまりサークルメンバー以外にもボランティア協力を依頼し、スタッフだけでも約300人体制で創り上げるイベントでした。
福祉の専門大学といっても今のようにバリヤフリー化されておらず、階段の昇降時、トイレの時そして食事の時には患者さんも一体となってのチームワークが必要となります。
そのためサークルメンバー以外の方々には3日間の介護研修を受けていただいて、当日に備えてもらいました。
2日にわたる患者招待。
1日目。笑顔いっぱい、お腹いっぱい、事故もなく大成功でした。
2日目。雨でした。
冷たい雨でした。
大学祭は秋。東北の10月は雨が雪に変わることもあります。
患者さんは風邪をひいてしまうと深刻な状態になってしまうことがあります。故に朝の雨は、イベントは即中止すべきことを意味します。
判断をしなければならない立場にあった私は、迷いました。
一年間かけて準備をし、たくさんの方に協力していただき、何より患者さんたちの期待に添えないということが悔しくてなりませんでした。
時間はすぎても雨は激しさを増すばかり・・・
学食に集まってもらっていたボランティアの方々の前に立ち
「今日は早朝より集まっていただきありがとうございました・・・せっかく皆さんと一緒に準備をしてきたのですが・・・残念ながら・・・」
後は言葉にならず、ハンドマイク握り締めたまま立ち尽くしてしまいました・・・
期せずしてパチパチと拍手が起こり、
「ありがとう!俺たちも勉強になったよ!」
「来年も手伝いに来るからね!」
雨は冷たかったけど、言葉は温かかった・・・
スタッフの一人が
「患者さんは来れないけど、私たちが大学祭を、病院に届けましょうよ!」
その一言で光が差しました。
他のサークルにも協力してもらい患者さんの送迎用で借りていた大型バス2台に、たこ焼きやクレープ、輪投げや金魚すくいなどの道具を積めるだけ積み込み出発。
病院の体育館がミニ大学祭に早変わり!
夢のような時間を過ごすことができました。
最悪の状況の中で最善の活動ができ、満たされるものがあった反面、今でもあの時の雨の意味を考えることがあります。
あのまま2日とも円満にイベントが終わっていたら、慢心してしまい活動の足は止まってしまったでしょう。
私はその後もボランティアを続け、社会人になっても青年団や地域活性化塾活動、そして今も消防団活動を続けています。
こんな雨の日には、よくあの頃を思い出し、今の自分には何ができるのかを考えます。
介護は私自身も含め、非日常的なものという意識があります。「介護」の必要な人のリハビリを施設で行う事は当然必要なのでしょうが、ややもすると要介護者をそのような場所に「隔離」してしまいがちな「誤解」をしている気がします。
大学祭での出来事、そのような意識の改革が必要な事を感じるものでした。
本当にご苦労様でした。
どうしようもない時
そんな時だからこそ
私達が出来る事を
探しだす
諦める
何もしない
人まかせ
多いですね!!
私もその中の1人かも
でも、本当は何も出来ない事はないんですよね。
必ず道があって
選択肢がある
心に雨が降っていると
見えにくいですが
必ず光が見えてくる
辛い事を乗り切ると心に残り励みになりますね
私達に出来る事
みんなの為に出来る事
選択肢はたくさんあると思いますが
図師さんの選んだ道
応援していきますね(笑)