ロシア貿易中・脱力進行中

以前のブログ「ロシア留学中・脱力進行中」のつづき。タイトルが嘘になってしまったので引越したが、内容は特に変わりなし。

分相応

2009-06-19 03:01:53 | 09年4-5月 Las Vegas
09年4-5月 Las Vegas 旅行記⑥

「3日目」となる5月1日(金)午前10時半過ぎ、
せっかくなのでBellagioのサテライトに出ようかと、
MirageからBellagioまで向かった。
サテライトは午前9時開始だが、前日待たされまくった経験があるので、
この日もちょうど始まるくらいかと思ってたのだ。

はたしてサテライトは始まっていた。。。
金曜・土曜のトーナメントは参加費が540ドルと高額になるため、
サテライトから参加する人も多いということだろうか。
まぁ11時少し前に来て、文句も言えないな・・・11時!!!
ヤバイ、チェックアウトを忘れていた。この日からホテルが変わるのだった。

Bellagioから急ぎFlamingoに戻り、光速で荷物を積め、フロントへ。
並んでいたため、チェックアウトの11時には5分ほど過ぎてしまったが、
何も言われず無事に手続き終了・・・と思いきや、何か言われた。
「18ドルほど引けるけど、どうする?」とか何とか言っている。
やっと分かった。Total Rewardsのプレイ実績で、18ドルほど割引出来るようだ。
確かに、同じHarrah's系列のCaesars Palaceで長時間プレイしたが、
Vegasに来てわずか2日で18ドル分も貯まるとは。Total Rewards恐るべし。
せっかくなので、引いてもらった。

さて、めんどうくさいがこれからホテルの移動。
めんどうくさいと言っても隣のBill'sへは、Flamingoを出て10メートルで着くのだが。
チェックイン後、まだ午前中なのにすぐに部屋に入ることが出来たので、
シャワーを浴びて一息ついた。
トーナメントスケジュールを見れば、正午からVenetianでトーナメントがある。
これに出よう。

徒歩でVenetianへ。開始10分前に会場に着くと、受付には20人以上も並んでいた。
俺が並んだ後も、まだ増える。しかも、Venetianのカジノカードがないものは、
横で作らないとエントリーが出来ないものだから、それがまた時間のかかる元に。
結局、正午を過ぎてようやくエントリーが出来た。幸い開始は遅れていた。

『Venetian 5月1日正午 参加費150ドル』
総参加数140人。スタートチップ7500点。でかいトーナメントだ。
同テーブルにはやたら巨乳のセクシーなお姉さんと、日本人らしき人が1人。
他はまったく覚えてない。
立ち上がりは相変わらずタイトに。他のプレイヤーの様子を見守る。
ルーズなのかアグレッシブなのかつかみきれないが、
意外としょぼい手で入っているプレイヤーもちょこちょこ見られたので、
俺も少し低いランクのハンドでも参加。意外と勝てて、チップ微増。
巨乳のお姉さんは意外と勝っている。
開始1時間も経たない頃か、巨乳のお姉さんと日本人が、互いにオールインでぶつかった。
AAvsKK!典型的なプレミアハンドの対決はAAに軍配。日本人さようなら。

別テーブルへ移動になり、しばらく勝ったり負けたりを繰り返しながら、
最高2万点あたりまでいっただろうか。しかし新しいテーブルには、
4~5万点ほどのチップを持つ猛者が2人。
しかもショートスタックのオールインを受けて、そいつを飛ばしたりしてるもんだから、
余計にチップ量に差が開いて、こちらとしてはやっかいな事になってくる。
BB(ビッグブラインド)が1000点になり、チップ量的にキツくなってきた頃、
ポケットにAQが。ここは行くしかない、とオールイン。
BBに座る猛者の1人がコール。開いた手はKQ。ダブルアップのチャンス!
Kだけは出ないでくれよ、と祈りながらのフロップ、6・J・9。
Kはないが、相手がガッツショットストレートドロー。10も出るな。
ターンは、10!マジか・・・相手に9-Kのストレートが出来上がり、
俺が勝つにはKが出て10-Aのナッツストレートが出来るしか道はなくなった。
もし実況にノーマン・チャドが居たら、
「Hirokeis is needing K, and K only. Or he's gone」って言われるところだ。
リバーは、8!お陰で俺にも8-Qのストレートが出来たが、
相手の9-Kには及ばず死亡。
時間は16時をまわったところ、結果は33位。無念。

夜明け前に取り返せ!!

2009-06-18 00:57:29 | 09年4-5月 Las Vegas
09年4-5月 Las Vegas 旅行記⑤

4月30日(木)2日目夜21時。
快眠から目を覚ました俺は、時間の経過に愕然とした。
外が暗い・・・
ショックではあったが仕方ない。
なんせVegasに着いてから22時間ぶっ通しのプレイ。
その前も、夜行バス、飛行機内とほとんど体を横にして居なかったのだから。
写真は、ショックで撮った寝起き時の部屋からの眺め(中央の建物がMirageホテル)

早速起きだし、何も食わずにCaesars Palaceへ直行。
1-3NoLimitのライブゲームに挑んだ。いつも通り200ドルBuy-In。
序盤、面白いようにハンドが来て、3時間も経たないうちに+300ドル。
しっかり睡眠を取ったお陰か、頭も冴える。
しかし調子に乗りすぎた。右隣の奴とのヘッズアップで2度、読みを間違え、
わずか30分以内に500ドル近いチップを全て失った。
Moving All-InはしてもCalling All-Inはするな、この教えを守れなかった罰だ。
追加した100ドルを含め総額300ドル負け。
負けはいつも教訓になるが、特に+300ドルからの転落は戒めの力が強い。
今後のプレイの際には肝に銘じておこう。

その後、Flamingo、Harrah'sでルーレットをするも、100ドルずつが一瞬にして消えた。
Harrah'sなどでは、カクテルガールにコーラを頼み、受け取る前に負け去ったほどだ。
深夜1時過ぎ、隣のCasino Royal内のSubwayで食事をしつつ、
この夜はもうPokerはやめようか、とも考えながら、
足は自然とMirageへ。なんといっても起きたのが21時。体力は有り余っている。

Mirageのポーカールーム初訪問。
映画「Rounders」で、プロの根城と謳われた、伝説の場所だ。
現在ではBellagioやVenetianにその地位を奪われているのは抗えない事実だが。
1-2NoLimitで200ドルBuy-Inはいつも通り。
起床から5時間ほどで既に500ドルを失っているため、慎重にプレイ。
明け方4時近くまで手持ち150-200ドルを動かず、我慢のハンドが続く。
しかしこの時間になり、ある者はチップを全て失い、ある者は十分な勝利に満足し、
1人、また1人と帰っていき、同じゲームのプレイヤーは10人以下に。
1-2NoLimitのテーブルが1つに合併されることになり、
テーブル移動をした後に、運気の変化が生じた。
印象深いのはQ10のハンド。
このハンドで1度フルハウス(オールインでダブルアップ)、1度ツーペア、
1度Qヒットで、3回とも大きなポットを勝ち取った。
深夜から続けていたプレイヤーが去り、周りが早起きのプレイヤーへと入れ替わる頃には、
目の前のチップは600ドルを超えていた。
午前10時半、ようやく終了。締めて465ドルの勝利。
前夜21時の起床後のマイナスの全てとはいかずとも、大半を取り戻すことが出来た。
前日朝のBellagioでのサテライトと含め、「2日目」カウントの収支は-185ドル。
勝利がMirageの1度しかないことを思えば、この金額は上々だろう。

「2日目」-185ドル
ポーカー、テキサス・ホールデム
ライブ:+165ドル
トーナメント:-90ドル
その他:-260ドル(ルーレット)


さて「3日目」。次はどこでポーカーをしようか。

ダウン

2009-06-16 23:39:47 | 09年4-5月 Las Vegas
09年4-5月 Las Vegas 旅行記④

とにかくも初日(?)の結果を勝利で終えた俺。
すでに時刻は2日目朝8時。
しかしこのまま帰って寝るという選択肢があるだろうか、いやない。
Vegasでは、トコトンがモットーだ。
自作のトーナメントスケジュールを見た。
9時から、Bellagioのサテライトがある。それだ!

説明しよう!サテライトとは、高額な参加費を要するトーナメントのために、
出場権を賭けて争う予選のようなものだ。
Vegasの最高峰Bellagioのデイリートーナメントは、平日でも参加費330ドル。
参加費をストレートに払うのが嫌な者は、その出場権を賭けて予選から挑戦出来る。
それがサテライトだッ!

平日のサテライト参加費は90ドル。参加定員10名、2名が本戦へ通過。
朝9時に始まるものと思い込み、8時40分頃には会場に行ったが、
なんと登録数はゼロ。俺が参加表明第1号だった。
全員の参加費がそのまま勝ち抜けの賞金となり、本戦への参加費用に充てられるため、
参加者が10名に達しなかった場合はサテライトは開催されず。待つしかない。
待てども暮らせども一向に参加者が集まる気配はなく、時間だけが過ぎる。
待って待って、10時50分、ようやく参加者が10人集まった。
あまりにも時間が有り余りすぎて、途中ルーレットで60ドル負けた。Fuck!

『Bellagio 4月30日9時サテライト 参加費90ドル』
スタートチップは4000だった記憶がある。
開始から40分ほど経ち、ある程度テーブルの空気も掴めてきた頃、
KJを持ちリンプで入った場面。フロップK・9・8。2枚スペード。
A8♠が300点ベット、俺、相手をフラッシュドローと読みレイズ1200点。
相手リレイズ2200点、双方オールインへ。
確率的には、残り45枚に対し、相手のドローはA×3枚、♠×9枚、8×2枚。
残り14枚×ターンとリバーの2回。2対3くらいで若干不利。
まずはターン、関係ないカード。これでオッズは5対2ほどで俺に有利に。
リバー、「A出るな、スペード出るな」と念じていた俺の目に飛び込んできたのは、8!
そっちかよ!
というわけで相手に8の3カード作られて終了でした。

既に昼の11時過ぎ。
Subwayで今回Vegasに来て初の飯を食ったところでドッと疲れが。
ホテルに戻りシャワーを浴び、3時までの睡眠を決意する。

そして気づいた時には・・・時間は21時を回っていた・・・

バスターコール

2009-06-16 03:28:48 | 09年4-5月 Las Vegas
09年4-5月 Las Vegas 旅行記③

4月29日、Vegas初日の夜。
Flamingoで負けた後、自分で作った週間トーナメント表を見て、
さてどのトーナメントに挑戦しようかと迷う。
Caesars Palaceの21時開始のトーナメントに出席しようと試みるも、
この日はスケジュールが変わっていて23時開始に変更。

しかたなく、1-3NoLimitのライブゲームをやって時間を潰す。
適当にチップを減らしながら様子見を決め込んでいたが、
あるハンド、K・7♣で相手A・8とヘッズアップ。
しょぼいベットだったのでついていったらランナーランナーフラッシュ。
ガツンと勝利!結局230ドル勝ちで、トーナメントの時間が来たので終了。

『Caesars Palace 4月29日23時 参加費120ドル』
序盤あまり良いハンドが来ず、タイトにプレイをしつつ着実にチップを減らし続ける俺。
50分程が経過したところか、ブラインドレベル3の局面。
少し勝っててチップを1.5倍に増やしたおっさんとのプレフロップレイズ合戦。
結局オールインまで行き、開いたハンドは俺K・K、おっさんA・Kオフスート。
おっさんの「ナイスハンド」の声も空しく、フロップでAが落ち死亡・・・

早くもトンだので、Bellagioのポーカールームに。
ここのポーカールームはVegas最強、一番客が集まるだけに結構待たされた。
プロフェッショナルな奴も、腕試しのしょぼい奴も、
いろんなプレイヤーがここに集まり、夜は常に満員だった。
適当に待つ間にルーレットで60ドル負けた。
ここで参加するライブのレートは初の2-5NoLimit。
さて肝心のプレイだが、ほとんど覚えていない。
覚えているのはやたら眠そうなディーラーだけだ。
なぜかすごいルーズなプレイをし、Aワンペアでオールインし、
相手の2ペアに受けられ死亡、200ドル負けに終わった気がする。

深夜2時を回ったくらいか、2夜まともに寝てないのにまだ眠くならない。
これがVegas効果か、とにかく前回の旅行でツキまくっていたParisに行き、
流れを変えることにした。。。変えられない!
Parisにポーカールームがなくなってる!マジか。
聞いてみたら、ポーカーは隣のBally'sに行って、だと!なにににに。
いくらBally'sが同系列だとはいえ、ブームのポーカールームがなくなるとは。

しゃぁないのでBally'sでプレイすることに決めた。
ここのカジノに入るのは初。
前回は隣に泊まったにもかかわらず、完全に素通りだったのだ。

1-2NoLimit、いつもの200ドルBuy-Inをして、序盤は±30~50辺りをさまよっていた。
明け方5時を回った頃だろうか、少し疲れの見え始めた危険な時間帯。
+150ドルから少し負け始め、手持ちが250ドル近くに減った辺り。
最近分かった事は、この“勝ってたところから負け始めた”状態が、
俺にとって最も危ない状況だということだ。ルーズになりやすい。
A10で、フロップA・9・8。
1人の若い兄ちゃん20ドルベット、他全てフォールド、俺リレイズ50ドル。
この時点で勝ってるだろうと思っていたのだ。
ところが若い兄ちゃん、リリレイズオールイン。総チップ量は俺より少し少ない位か。
残り200ドル、ここでほとんどを失うか、ダブルアップに賭けるか・・・
ここでの俺の思考は、兄ちゃんの手がAQやAJではなく、
ましてや9のセットやA8のツーペアでもなく、
Aとローキッカー、あるいは8・9のフロップツーペアのどちらかに限られた。
なぜこの思考に至ったかは知らないが、ルーズになってる所以だと思われる。
通常はツーペア、もしくはAJのようなキッカー負けを考える。
A10はキッカーとして余りに頼りない。だが!
俺の思考中にサングラスをかけ直し、パーカーを被って俺の視線から逃れる兄ちゃん。
これはAとローキッカーのブラフオールインではないか、と期待したルーズな俺は、
ポット約250ドルに対し、余りにも無謀な200ドルのコール。
案の定、兄ちゃんの手は8・9のフロップツーペア。
だから言っただろう!と、心の中で述懐してももう遅い。
これも勉強だ、とルーズなプレイを戒めた俺の目に飛び込んできたのはリバーの10!!!
マジか、と言わんばかりに天を仰ぐ兄ちゃん。
俺の無様なプレイと最後のカードのラッキーにため息交じりの他のプレイヤー。
これがポーカーだ。。。

結局その後は調子が変わり、人生初の4カードも作り、チップも微増。
(手持ちにK1枚、ボードに3枚なので、ボーナスは無し)
時計を見れば朝7時。ここでの勝利を260ドル勝ちで終えた。

「初日」+80ドル
ポーカー、テキサス・ホールデム
ライブ:+270ドル
トーナメント:-185ドル
その他:-5ドル(BJ、ルーレット、スロット)


勝って教訓を得た1戦であった。自分のルーズさに腹が立ったが、これも勝負。
二度とこんなプレイはするまいと心に誓い、ホテルへ・・・
帰らなかった。つづく。

ラフゲーム

2009-06-15 03:02:46 | 09年4-5月 Las Vegas
09年4-5月 Las Vegas 旅行記②

前回は初Vegasということもあってか、
1日分が長編×3本あたりになってしまったが、
さすがに今回はそれだけ書く気力がないので少し縮小。

4月29日、現地時間15時頃、これでもかというくらい順調にFlamingoホテル到着。
空港からのタクシーは22ドルだった気がする。チップ含め25ドル払った気がする。
8ヶ月ぶりのVegasについに来たんだ!そこら中に漂うサンオイルのにおい。
このにおいが、前回の夢のような記憶をよみがえらせて早くもイきかけた。
さっそくチェックインをすませ、部屋に荷物を置き、すぐにカジノへ降りる。

最初は、Flamingoのポーカールームで腕慣らしと決めていた。
昨年9月のモスクワ出張以来、オンライン以外ではプレイしてないので、
なるべく低レートでやりたかったからだ。
18時開始の参加費65ドルのトーナメントへ参加申し込み。
開始までライブゲームをしながら待つも、30分ちょっとしかなかったため、
結局ライブはほとんど勝負しないまま、-20ドルで終了。
さて本題のトーナメントは、昨年9月のモスクワ出張で、
何も知らないまま適当に出て以来の、人生2度目の参加となる。

『Flamingo 4月29日18時 参加費65ドル』
このトーナメントは、参加費が安いこともあってか無理手が多くまかり通り、
1500点とスタートチップも少ないことから、結構早めに人がトンでいた。
参加総数40人弱が1時間もしないうちに10人に絞り込まれ、
いつのまにかファイナルテーブルに。人生初。
ファイナルテーブルに移ってしばらくして1時間の休憩タイム。
休憩終了の数ハンド後、微妙にショートスタックだった俺は、
9のペアでプレフロップオールイン。AJに受けられ、Jヒットで死亡。
あっさり10位で終わった。。。
スタートとしてはこんなもんか。腕慣らし終わり。

初日の夜は、まだ始まったばかり・・・

再び辿りつく

2009-06-14 05:29:29 | 09年4-5月 Las Vegas
09年4-5月 Las Vegas 旅行記①

3月末、今の会社に入社して最も仕事が忙しく、
俺は精神の限界を感じていた。リフレッシュをしなければ。
「そうだ Vegas、行こう」
ということで急遽GWの聖地行きを決めた。
4月に入ってからなので、航空券は高いかと思いきや、
意外と去年のお盆休みよりも安いのが残っていた。
燃油サーチャージ分を除いても、夏休みより安い。何故?

4月29日発5月6日帰国(現地5日早朝発)United往復135,740円。

当初、大学時代の1コ上の先輩KBさんが一緒に来る予定だったが、
休みが合わず断念。1人で行くかと考えていた。ところが!
4月10日を過ぎて、Wタルスキーが参戦表明。その心意気や良し!
Wタルスキーは5月2日からの合流、5月7日帰国ということで、
現地では3泊一緒に行動することになった。

気になる宿は
4/29、30---Flamingo
5/1、2---Bill's
5/3、4---Caesars Palace(!)

最後の2晩は憧れのCaesars Palaceへ!
Flamingoもだが、Total Rewardsのお陰で思ったより格段に安く部屋が取れた。
5/1、2だけは金土の週末で高かったので、安く利便性の良いBill'sへ。
前回といい、俺のホテル選びは完璧だ。。。

4月28日(火)、出発前日のこの日は会社のロシア会。
夜10時半頃家に帰り、急いで荷支度を済ませ、名古屋駅へ。
東京発の便のため、高速バスで移動するのだ。
翌朝6時、東京駅へ着いても何もやることがねー!
歩き回ったりWendy'sでパソコンいじったり、必死で時間をつぶしていると、
10時前にWタルスキーが登場。ホールデムについてひたすら語り合い、
時間が来たので成田空港へ。暇つぶしにわざわざ付き合ってくれてありがとう!

空港では多くの取材陣が居た。豚インフルエンザに騒ぎ立てる愚かマスコミどもだ。
会社でも「本当に行くのか?」と愚問を投げかける先輩方が居たが、
当然一笑に付してきた。行くなと言うなら辞めてでも行ってやるぜ!
念のためマスクだけ買って搭乗。TBSのテレビ班にインタビューされたため、
絵を使われないよう精一杯の無愛想で対応。

機内ではほとんど寝れず、辛い時間を過ごした。
高速バスでもほとんど寝れなかったが何故だ!よほど興奮しているんだろう。
乗り換えも含め、耐えること約15時間、見えてきた!
翼よ!あれがVegasの街だ!

終わったんだ!!

2009-06-14 02:34:41 | 08年8月 Las Vegas
Las Vegas 旅行記22(最終回)

↑20を過ぎて、丸囲み数字が無くなった。
ちょっと書き過ぎだ。。。

8月15日、午前6時未明。
空港に着いた俺たちは、最後の記念にスロットをやり、40ドル負けた。
そして出発の時間まで搭乗カウンター前で喋っていたら・・・
「あれ?いつまで経っても俺らの飛行機呼ばれねぇな」
「ってもう出てんじゃねーか!!!」
まさに前代未聞、行きも帰りも飛行機に乗り遅れる3人。
前代未聞の馬鹿だ・・・

このまま飛行機が無いってなれば、もう一泊Vegasに残れるんじゃね?
という悪魔の誘惑に負けそうになりつつも、理性の声を自分に言い聞かせ、交渉開始。
サンフランシスコ発名古屋行きの便に何とか間に合う飛行機に振り替えてもらい、
まさしくギリギリの帰還となった。
飛行機に乗り遅れること自体があまり無いはずなのに、
往復でそれをやるとは頭がどうにかしておるわ。

帰国後の俺たちは、いや、HRとHSは疲れきっていた。
俺は・・・必ずまた行くと心に誓った。Vegasこそ、これまで求めていた場所だ!


最終結果
+ 10 ルーレット
-1935 BJ
- 225 スロット
- 100 クラップス
- 119 ポーカー
+ 861 ポーカープログレッシブ
--------------------------------
-1508ドル 通算

Mr.パリス

2009-06-14 01:35:54 | 08年8月 Las Vegas
更新サボってる間にえらい時間が経ってしまった。
ふと思い出したので久しぶりに続き書いて終わらせよう。

Las Vegas 旅行記21

HSを叩き起こし、2人でParisのバフェで夕飯を食べる。
といってもこの日一食目にしてラストだが。
人気のバフェらしく、へんな時間のくせにかなり待った。
味は・・・別に普通だった。とりたてて並ぶ価値もない気がする。
とりあえずカニばっかり食った。が、となりに座る外人の食いっぷりに負けた。

飯の後、MonteCarloのランス・バートン・マジックショーへ!
これが見たかった!そして素晴らしいショーだった。
しっかりとしたマジックショーは初めてだったが、良いものだ。
次回機会があればまた行こう。
ショーの後は男2人でBellagioの噴水を見て、その辺に居た女の子と写真を撮り、
そして男2人でEiffel Towerに登った。素晴らしい景色だった。
(写真は、Eiffel Towerの上から見たCaesars Palace全景。およそ9ヵ月後、
このホテルに泊まれる日がやってくるとはこの時夢にも思わなかった・・・)
これでVegasの夜景も見納めか・・・

一連の観光の後、夜10時くらいからParisのポーカールームへ。
やはり俺には此処しかない!
金のなくなったHSには、とりあえず200ドル貸した。
詳しいプレイ内容は今となっては覚えていないが、
1ハンドだけ明確に記憶に残るものがある。
4・6のハートでリンプインした時のハンド。
フロップは5・7・8、すべて赤いカード、すべてハート。
またしても、2夜連続で、フロップストレートフラッシュの完成だ。
俺の手前の酔っ払いと、もう一つ手前のおじいさんが参加。
ターン、リバーともにそれほど関係のないカード。
手前の酔っ払いをハメようと思ったが、リバーの100ドルベットで2人に降りられた。
おじいさんは10ハイフラッシュ、酔っ払いは5のフロップセット。
惜しい。4カードかフルハウスが出来ていれば・・・
4カードとストレートフラッシュの力関係まで知らないような奴だったので、
何か手が出来ていれば確実にハメれたのに・・・
しかし、ポットは150近くあり、さらにプログレッシブで473ドルのボーナス!
一気にチップが増した。

その後、深夜3時を回り別テーブルに移ってからはルーズなプレイが増え、
恐らく200ドルほどはチップを減らしたと思う。
隣のおっさんに、「そのプレイでどうやってそこまでのチップを稼いだんだ?」
とまで言われる始末。
明け方4時を過ぎ、HSとHRにせかされたので終了。
国内線とはいえ、飛行機は6時25分発。ギリギリだ。
結局此処での勝負は、172ドル勝ち+ジャックポット473ドルだった。
この日通算では250ドル勝ち。昼間の400ドル負けを取り戻せた。
3夜連続の勝利、2夜連続のストレートフラッシュ。
まさしく俺はParisの申し子だ!

ところで貸した200ドルはどうなったのか?
HSに聞いたところ、すぐに200ドルを返してくれた。
「勝ったのか?」「2000ドルな」「2000ドル!?」桁間違ってんじゃねーのか?
果たして本当だった。バカツキにHSのアグレッシブプレイが味方をし、
最大2500ドルまで増やしたそうだ。
それまで3000ドル負けだったHSは、最後の勝負で500ドルを賭け、
勝てばトントン、負ければ1000ドル負けという大勝負に出たのだった。
結果は負けも、晴れて2000ドルの大勝利。
勝利額といい一度の最大ベット額といい、最高記録をマークした。
HSこそ真のギャンブラーよ!