ひろじいのエッセイ(葦のずいから世の中を覗く)

社会と個人の関係という視点から、自分流に世の中を見ると、どう見えるか。それをエッセイ風にまとめ、ときには提案します。

弥勒

2014年08月01日 | 読書日記
弥勒(みろく) 篠田節子 講談社文庫
 文庫本650ページに及ぶ大作である。この小説は、新聞社の事業部員として展覧会の企画などを手がけている主人公永岡が、ヒマラヤの奥深い山地にある架空の小王国パスキムの仏教美術に深い関心を寄せるところから始まる。
 永岡が企画したパスキム美術展はボツになってしまうが、この国に長年住んでいた日本人から得た情報によると、この小国で革命が起こり、仏教寺院が破壊され、美術品が壊滅の危機に瀕しているという。外国人を国外退去させ、他国と人、物の往来を断ったパスキムの現状を知りたくて、永岡はインドのダージリンをへてこの国に潜入する。
 しかし、帰路道に迷っているところを革命軍の兵士につかまり、山村にある捕虜収容所のような宿舎に入れられてしまう。そこで待っていたのは、知識人も農民も一緒になって働く開墾と農耕の作業で、地獄の強制労働といっていいほど過酷だった。
 革命軍の首領の思想は、人間は身分、財産やこれまで従事していた職業にかかわりなく、平等に働き、平等に衣食を受け取るべきだということらしい。まるで自給自足の原始共産制である。
 そのうち革命は予想外の事態の続発に悩まされるようになる。増産のために木を切り倒して開墾した傾斜地が保水力をなくして大雨のとき地崩れを起こし、在来の畑までのみこんで、収穫がなくなってしまう。飢えた人々は、草の根どころか死者の人肉まで食うようになる。疫病が蔓延して次々と死人が出る。革命軍の規律がゆるみ、決まりを守らない者が死の制裁を受け、密かに暖衣飽食をむさぼったり、女を犯そうとした軍幹部も首領に粛正される。
 こうした惨状のなかで何とか生き長らえながら、永岡は「人間はなぜ生きるか。生きるとはどういうことか。死とは何か」と根源的な、しかし答の出ない問いを発し、これまで絶対的なものとして信奉してきた「美」が空虚なものに変容して、自分の価値観が次第に崩れていくことを自覚する。
 強制的に、名簿の順に割り当てられるようにして結婚した、元教師の女性とは、日本に残してきた妻よりずっと愛情がかよいあった。だが、妊娠した妻はひどい栄養状態のなかで流産し、死亡した。死体を埋める場所で、埋葬をめぐって少年兵士と悶着を起こしてその兵士を殺し、自分も勢い余って妻の遺体とともに谷底に転落。なんとか助かって、妻を荼毘に付したあと、インド国境を目指して、あてのない逃避行を始める。
 運良く、最初に兵士につかまったところに出た。ここは、永岡が廃墟と化した寺院から持ち出した、パスキム美術の粋ともいうべき弥勒菩薩像を隠したところだ。それを探し出し、国境に向けて歩き出したとたんに、革命軍が埋めた地雷に吹き飛ばされ、片足のくるぶしから先を失った。
 またもや運良く親切な老人に救われ、しばらく療養したのち国境の峠に向かう。杖をつき不自由な体を運んでいるうちにバランスをくずし、大切に体にくくりつけてきた弥勒を谷へ落としてしまう。
 だが、意外に喪失感がない。永岡はふと自分は日本へ帰らないだろうと思う。「国境を越え、通信社に打電できるところへ行って、自分の見聞を洗いざらい伝え、パスキムの人口がゼロになる前に、救済の手をさしのべてもらおう。それがすんだら再びパスキムに戻り、この国の復興を見届け、死んだ妻や自分が手をかけて殺した人や革命の犠牲になった人々のために、死ぬまで村々をまわって祈ろう」と決意するともなく思うのである。
 この小説はここで終わるが、なんとも重苦しい読後感が残った。革命で王政が倒れた後の、人々の凄惨な生活の描写に臨場感があって、何度も本を閉じたくなりながら、怖いもの見たさで先へ進んだ。片足と引き替えになった弥勒を抱いて日本に戻り、その体験を一場の夢として胸にしまって職場に復帰するというような、ありふれてはいるが、ほっとする結末にもなっていない。そうした内容が重苦しさの理由であろう。弥勒は人間を救うように見えるけれども、その救いは弥勒によっては得られない、というのが作者のメッセージなのだろうか。
 それはともかく、架空の国の革命を細部に至るまで構想する想像力と、革命後の荒廃を生々しく描く筆力に圧倒された。


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