ひろかずの日記

74歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

野の花・野草(7) スベリヒユ

2018-07-19 17:18:12 | 野の花・野草

    スベリヒユ

 2018年1月5日の「ひそかずの日記」に「永田耕衣のことを考えながら」という文章を紹介しています。

その一部を読んでおきます。

   ・・・・

 (私は)俳人・永田耕衣(ながたこうい)については、以前から何度となく聞いていました。

 こう書くと、「いや、私は、永田耕衣については聞いたことがない」という反論が聞こえてきそうです。

 そのはずです。一部の俳句に興味がある方の間では、よく知られていたのでしょうが、一般的には広く知れた人ではありません。

 耕衣とのつながりは、自宅のある加古川市尾上町今福の生まれていることだけです。

 個人的なことになりますが、家から50mのところが耕衣の生家です。

 そんなこともあり、以前から耕衣についてしばしば聞いていました。

 しかし、耕衣について、関心を持ったのは生家が近くであるということではなく、彼をモデルにした小説『部長の大晩年(城山三郎)』(新潮文庫)を読んで以来のことです。

 耕衣の老後の耕衣の生きざまに驚きもし感激しました。

 『部長の大晩年』は、次のように書き始めています。

     部長の大晩年

 永田耕衣、本名軍二は満五十五歳で定年の日(昭和30年・1955)を迎えた。

 勤続三十八年、退職時のポストは製造部長兼研究部長。勤務先は、三菱製紙高砂工場。

 戦前関西での三菱グループを代表する大工場であり、従業員千八百人。

 その工場長は、三菱系企業の関西での会合などでは、いつも幹事役をつとめる立場に在った。

 それほどの大工場で、耕衣は、工場長、工場次長に次ぐナンバースリーポストについていたのである。(以上『部長の大晩年(城山三郎)』より)

 俳句の世界では名高い耕衣については『部長の大晩年(城山三郎)』をお読みください。・・・

   踏み切りの スベリヒユまで 歩かれへん

 耕衣は平成6年、左大腿骨を骨折しています。

 手術を受けました。この時「大腿骨まる折れの秋深きかな」です。

 手術後、体力の衰えか、散歩の足は伸びませんでした。

 こんな状況での句が「踏み切りの スベリヒユまで 歩かれへん」です。

 どこまでも、あるがままの人生を楽しもうとする耕衣の姿が、そこにありました。

 スベリヒユを見つけると、いつも永田耕衣のこの句を思い出します。(no442)

 *写真:スベリヒユ(自宅の近くのHさんのお宅の畑のスベリヒユ)

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