ひろかずの日記

74歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

延命寺(えんめいじ)の写真みつかる

2018-06-15 08:17:53 | 歴史・文学

〈史料として:画像の悪い写真ですが、写真がありました〉

      延命寺(えんめいじ):大正時代末に廃寺

 西国三十三観音めぐりは、平安時代中期ごろ、庶民尾間に流行し始めて、後に貴族たちがまねるようになりました。

 人々は病気の平癒(へいゆ)を願い、病気が癒えると、お礼のために、また亡き人の供養のために、罪を犯した者は滅罪のために、さらには自らの死後の平安を求めて、人々は西国三十三観音めぐりにでかけました。

 第一番の札所、那智山西岸渡寺(和歌山県)から最後の谷汲山華厳寺(岐阜県)までの旅は、現在と違い苦行そのものでした。

 江戸時代になり治安もよいくなり、交通機関も整備され、三十三か所めぐりも比較的やりやすくなり、かつての苦行巡礼は、レクレーション的な性格さえ持つようになりました。

 しかし、誰でも気軽に巡礼の旅に出ることはできません。生活の苦しい庶民にとっては、現在の外国旅行よりもずっと縁の遠いものでした。

 そこで考えられたのが播磨の国の中に、三十三か寺を定めて、それらの寺を巡礼すれば「西国三十三所めぐり」と同じ功徳があるとする「はりま西国三十三所めぐり」です。

 このような巡礼がはじまったのは、江戸時代の初めの頃です。

 この播磨西国三十三所めぐりの二十八札所として池田の観音寺が選ばれました。

    郡西国巡礼七番札所・延命寺

 さらに、もっと巡礼しやすいものとして、加古郡内に三十三か寺の巡礼のための寺が決められました。

 これが「郡西国三十三札所(郡西国とも言う)」です。

 郡西国の一番札所は、池田の観音寺です。そして、七番札所が今福延命寺でした。

 延命寺は、明治の廃仏毀釈で建物は残ったものの廃寺となりました。

 今福公会堂の入り口の右のところに、公会堂の入り口にしては不似合いな柱が二本(写真)ありますが、それらは延命寺の山門で、わずかに延命寺の面影を残しています。(no231)

 *写真:延命寺(大正末に廃寺・ある本に画像が悪い写真がありました。資料として掲載しておきます。自宅の西となりです)

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