ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

三宅周太郎さんのこと(16) 時事新報で演劇批評を担当

2019-01-08 08:55:37 | 三宅周太郎さんのこと

      時事新報で演劇批評を担当

 大正7年3月、三宅周太郎は慶応大学文科を卒業しました。

 プロの物書きとして東京で生きようとする自負と責任を深く感じ、生真面目で純粋な性格だけに、一つの目標やテーマを定めるとそれについては綿密な下調べと研究を重ねた揚句でなければ、書き始めることは出来ませんでした。

 それは楽しいものであり、そうしていると、舞台での芝居の筋書きや俳優の所作の流れの良し悪しがくっきりと眼に映るのでした。

 周太郎は卒業と同時に、当時帝都の一流紙であった「時事新報」から声がかかりました。

 先に、「時事はお前に内定したらしいよ。それも小山内(薫)先生が都合あって時事をやめられるので、その後釜にお前を推挙されたのだ・・・」とある筋から聞いていました。

 周太郎の一連の劇評を高く評価した時事の社会部長が、直接下宿を訪れての依頼でした。

 周太郎は、二つ返事で受託しました。

 以後、周太郎は時事専属の新聞劇評を書き始めることになります。

 社会へ出ても、酒も煙草もやらぬ周太朗は、不愛想で、友達はかえって文壇人の芥川龍之介氏・中戸川吉二氏・里見氏や菊池寛氏とのつき合いが多くなりました。

 このころ、思わぬ大先輩から激励の手紙を貰ったり、有力な出版業者が拙稿を愛読していてくれる噂を聞いたりしました。

 菊池寛のことです。大正5年7月、周太郎より1年半余り早く京都大学を卒業していた菊池寛は、すぐ上京し漸く時事新報社の社会部記者として採用されていました。

 周太郎と寛の二人は共に時事で共に働くことになって、ここに二人の交友関係が始りました。

 「文芸」の道に志す周囲の人達は人気作家にのし上って、芥川、久米、里見、菊池らは相当な高収入を得、派手な生活でした。

 周太郎は、これらの人達の遊蕩には、なじめなかったようです。(no4599)

 *写真:小山内薫(演出家・劇作家・小説家)

 ◇きのう(1/7)の散歩(10.697歩)

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