『播磨風土記』に稲日大郎姫(イナビノオオイラツメ)の話がある。日岡山山頂にある古墳が稲日大郎姫の墓だという。
*稲日大郎姫については、明日のブログで取り上げたい。
彼女は、ヤマトタケルの母である。
『古事記』(集英社)の著者・田辺聖子は、次のように書いている。
「・・・ヤマトタケルの物語は、さながらギリシャ神話のペリセウスやオデッセウスの面影の片鱗がある。恋と冒険にみちた英雄の生涯を、古代の日本人はどのようにつくりあげたのだろう・・・」
『古事記』・『日本書紀』に描かれるヤマトタケルは、まさに物語のクライマックスに登場する。
それほどの人物であるなら、ほとんど時を同じくして書かれた『播磨風土記』に登場してもよさそうなものである。
不思議なことに『播磨風土記』のどこにもヤマトタケルの姿はない。あるのはヤマトタケルの母と父・景行の愛の物語ばかりである。
これは何を語るのだろうか。
『風土記』は、地元に伝わることをまとめたものである。「ヤマトタケルの物語」は、『風土記』がつくられた時代、地元ではなかったのではないか」と想像してしまう。
「ないものは書けない・・」と言うわけである。
せっかく、ギリシャ神話に登場するような物語が、加古川市で誕生したと言うことは痛快なことであるが、どうも怪しい・・・
こんなことを書くのは、地元の者としては少し気がひける・・・
*絵:「ヤマトタケルの像」 青木繁筆(東京国立博物館蔵)