ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

西神吉町探訪:旧北条街道

2007-05-28 08:20:59 |  ・加古川市西神吉町

_528   加古川市米田町平津の国道2号線の交差点から北へ道がのびる。

  この道は、西神吉町あたりで大池・新池の東を通り、志方町投松(ねじまつ)へぬける。そして加西市北条へと伸びる幹線である。

  明治18年(1885)に完成した。

  それ以前の旧北条街道(写真)は、神吉村から西神吉町宮前の宮山の麓と大池の間を通っていた。

  写真の先は、志方町横山である。

  旧北条街道はかつての面影はない。

  作家の猪瀬直樹氏は、三島由紀夫伝『ペルソナ』の取材のため、三島の先祖の出身地である横山を訪れている。

  『ペルソナ』で、旧北条街道にも触れている。少し引用が長くなるが読んでみたい。

  この時、猪瀬は横山へ志方側から入っている。

  ・・・・道幅は狭いけど、かつて北条街道とよばれ人馬が盛んだった。坂は赤坂と呼ばれている。

  江戸時代から明治初頭、播州平野の奥から牛に引かせた車が米を積んで港へと向かった。その際、この赤坂を喘(あえ)ぎながら登ったところで一服した。

  モータリゼーションの時代でもドライブインやスーパーマーケット、土産物店等が固まっているような場所が必ずある。

  横山は、江戸時代末期のそうしたスポットだった。『志方町誌』の記述に従えば、以下のようになる。

  「昔の北条街道は、この山の東を通り神吉(西神吉町)の大池の西へ出たもので、この街道にできた集落が横山で、上富木(かみとみき)の小字である。・・・道の東側に北から塩物屋、くすり屋、焼もち屋、綿打屋、植木屋、いかけ屋と商売屋がならんでいたそうである」

  三島由紀夫の祖父・平岡定太郎(さだたろう)が樺太庁長官となって故郷に錦を飾るというので、賑やかにみなで出迎えた。

  宝殿には駅が設置されておらず、加古川駅から人力車の列がならび、さながら大名行列のようだった。

  もう北条街道に新道ができていた。その道からやってきた。・・・・

  旧北条街道は、主役の座を降りて久しくなった。かつての賑わいを想いながら旧北条街道を歩いてはいかがだろうか。

  先日、この道を歩いてみた。五月の風と木々の緑がいっぱいであった。行き交う人もなかった。

  平岡定太郎(三島由紀夫の祖父)は5月13日のブログをご覧ください。

*『ペルソナ(三島由紀夫伝)』(猪瀬直樹)参照

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