ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

お爺さんが語る郷土の歴史(272) 近世の加印地域 高砂篇(51)、工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛(22)・ある日の会話

2018-08-25 08:38:03 | お爺さんが語る郷土の歴史

   

     松右衛門帆(3) ある日の会話

 ある日のことです。

 松右衛門は、北風家の別家の喜多二平とくつろいで話していました。

 以下は、勝手な想像で書いています。

 

 喜多二平:きのうは雨、きょうは風がきついですな。こんな日が続くと船も困りもんです。特に、帆が長持ちしまへん。

 松右衛門:そうですね。破れやすいし、それに水で腐りやすいし・・・・

 喜多二平:なんとかなりませんかね。

 松右衛門:太い糸で帆を織ったらどうでょう。

 わたしの故郷(高砂)は綿の産地です。 やってみます。

 

 こんな会話があったのでしょう。

 松右衛門の生まれた高砂辺りが、綿の生産が盛んな所でなかったら、さすがの松右衛門も「綿の太い糸で帆を織る」という発想は、生まれなかったことでしょう。

 加古川河口辺りの綿作について少し見ておきます。

       故郷は綿の生産地

 元禄十年(1697)に刊行された江戸時代の農書に『農業全書』があります。

 その中で、河内(かわち・大阪府)、和泉(いずみ、大阪府)、摂津、播磨、備後(広島県)の五ヵ国について、土地が肥沃で、綿を植えて、多大な利潤をあげたことを紹介しています。

 播州地方も、特にさかんだったのは現在の高砂・加古川市域の海岸部一帯の平野部でした。

 18世紀中ごろ、多くの村々の村明細帳(むらめいさいちょう)に綿作のことが記されるようになっています。

 畑作物として、多くの村々では綿が作付されており、それは幕末のころになっても変わっていません。

 田畑全体の50パーセントに作付される村が多く、畑にはほとんどすべて綿を植えるという村もあったほどです。

 特に、伊保崎村・荒井村(以上高砂)から別府村・池田村(以上加古川)一帯は木綿づくりが盛んで、文政期(1818~29)から幕末の頃の状況をみると、高砂の綿作付率は、畑で95.2%、全田畑面積に対しても40.1%でした。

 松右衛門は、こんな町の風景の中で少年期を過ごしました。(no4568)

 *挿絵:綿の実

 ◇きのう(8/24)の散歩(10.478歩)

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1 コメント

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貴ブログを拝見させていただいてのお願い (iisaka)
2018-08-25 13:43:16
初めてご連絡させて頂きました。
私、株式会社スプリックスの飯坂と申します。
突然のご連絡で大変失礼致します。
松右衛門と喜多二平の会話楽しく拝見させていただきました。そんなふとした会話から発明が生まれるのですね。人間の知恵はすばらしいです。

弊社では、学校の先生方向けに授業準備のための無料情報サイト
「フォレスタネット」を運営しております。
この度、貴ブログに投稿されている記事の数々を拝見し、
是非私共にお力をお貸し頂けないかと思いご連絡致しました。

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先生方の授業準備をご支援するサイトです。
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つきましては、貴ブログにございます記事について、
是非フォレスタネットへ掲載させて頂けませんでしょうか。
掲載作業の一切は全て我々の方で進めさせて頂き、管理人様のお手間はとらせません。
また、記事を掲載する際の名義は管理人様の名義のまま掲載させて頂きます。

管理者様の記事は歴史を深く感じられる記事なので、学校の先生にとって非常に貴重な情報となるかと存じます。
ご不明な点も多々あるかと存じますので、何なりとご質問頂ければと存じます。
この度は突然の不躾なお願いとなり、大変申し訳ございません。
ご検討の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

ご連絡いただける際は下記のメールアドレスまでお願い致します。
m.iisaka@sprix.jp

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